石英でいうたら玉髄やな

故・益富寿之助先生の名言に石英でいうたら玉髄(ぎょくずい)やな」というのがある。
あるアマチュア鉱物研究家氏が結婚をしたとき、新妻はどんな方ですかと問われ、こう返されたという。
なかなか上手い切り返し方だと思う。
昔の話でもあるし、まあおよそ容色についての問答だ。決してカドを立てず、とはいっても嘘はつかず、それでいてどこか暖かく見守るようなニュアンスが伝わってくる。


この形容の味わいは、「石英」「玉髄」という鉱物を知っていないとピンと来ないだろう。
しかし、知っていると本当に味わい深い。
石英」は、結晶の状態やサイズによって実にさまざまな外見を持つ。そして、さまざまな名称のヴァリエーションがある。目にみえるサイズの結晶が「水晶」である。「砂糖」にも、グラニュー糖もあれば綿菓子もあり、黒砂糖も氷砂糖もあるのと同じ話だ。だから「石英でいうたら〜」という形容ができるわけだ。


顕微鏡的な細かい結晶からなる石英の塊を「玉髄」という。
多くは半透明で、これに色がつくと「緑玉髄(クリソプレーズ)」とか「青玉髄」とか呼ばれる。紅色のものもあれば、薄黄色いような色のものもある。だが、たいがいは白色で、光にかざすとぼうっと透けてみえることが多い。これの縞が見えるものが「瑪瑙」である。
形状はいろいろあるが、もこもこと葡萄の房のような、腎臓のような、生物を思わせるフォルムになることが多い。いずれ、結晶鉱物のシャープなクリアさよりも、温かみのある柔らかさを感じさせるものだ。


しかし、反面、地味なものでもある。どこか野暮ったい感じもある。しかし、親しみやすいものでもある。益富先生の形容は、そこを実によく突いている。なんといっても、いちおうは半貴石で、中国では「玉」として珍重されたものだから、とりあえず「褒め言葉」だ。あんまり嬉しくない褒め言葉だけれど、そのあたりのさじ加減も絶妙だと思う。


いい玉髄の標本があれば、画像を一発あげて、一気に記述の説得力を増すところなんだが、残念ながら手元にない。
それにしても、先生の真似をして石英でいうたら××やな」とひとを形容するのは、なかなか楽しい。男女問わず使える。外見も、人となりもどちらも可だ。とはいえ、石英でいうたら珪華やな」とか、「子ぶり石やな」「千枚珪岩やな」とかの、「ひどいこというねえ〜!!」というものばかり先に出てくる。本家の「玉髄やな」の粋さには到底届かない。


これらの形容がいかに「ひどい」ものであるかは、本当にひどくなってしまうので解説しないでおく。もちろん、「小尾八幡の水晶やな」といったあたりが最高の形容となる。「水晶」の場合は、産地名でいうことになるだろうか。「川端下やな」「板屋やな」「荒川鉱山やな」……。