大塚英志『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』

駆け足で読了。
主たる関心は第一部のほうにあるので、まずはそこに話を限ると、部分的には納得のいかないところや牽強付会、首をかしげるような意見が多々あったんですが、「なるほど」と思わされるところも多々あり、大枠としては拙著『テヅカ・イズ・デッド』とたいへん近い話をしていると思いました。二ヶ月だけでも先に出すことができたのは幸運でした。
とはいえ、「マンガ史」を語る枠組みが近しいものになるのは、ある種論理的な必然であって、それがほぼ同時期に出たというのは時代的な必然だと思います。去年から今年あたりにかけて、マンガをめぐる言説の質が大きく変わってきていることの具体的なあらわれと考えたほうがいいでしょう。大塚氏も、ぼくもその渦中にいるということです。


しかし、竹内オサムの「た」の字も出てこないんですね。オレが出てこないのはまぁ、ぽっと出の新人なので当然としても、またこれで竹内さんがスネまくって「ビランジ」でいらん嫌味を書くのではないかと思います。どうでもいいといえばどうでもいいことですが。竹内オサムの議論など、捨て置いても大勢には影響がないと判断されたのかもしれません。


本書の感想などはまた日を改めて記そうと思います。

そんなわけで昨日は

ユリイカ」の特集「マンガ論の現在」のため、夏目房之介さん、宮本大人君との鼎談を収録してきましたよ。ミヤモ先生はいつものように緻密に準備をしてきていて、そしてものすごくクリアに整理をしてくれました。「そーかー、オレ、そういうことを考えていたのかー」とか他人事のように感心したり。


夏目さんのブログにも記事が出てますね。
http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/003995.html
昼食をとっていなかったのは、学校から直行したからです。

そして一昨日は

同じ「ユリイカ」に掲載される、あずまきよひこさんのインタビューをしてきました。
とても良いお話がきけたと思います。拙著『テヅカ・イズ・デッド』で提示したモデル(マンガのおばけ/ウサギのおばけ、キャラ/キャラクター)、こうした「いまのマンガ状況」に自覚的な作家の仕事があってこそ出てきたものだなあと実感しました。

さらに水曜日は

プチグラパブリッシングから刊行予定の「あたらしい教科書」というムックの取材を受けました。「学ぶ」という言葉をキーワードにした本です。やはり『テヅカ・イズ・デッド』をみてお声をかけてくださったのですが、論の対象である「マンガ」についてではなく、論の展開の仕方、あるいはどういう経緯でぼくがあのような思考をするにいたったかについて訊いてくださり、とても嬉しかったです。知的な枠組みの個人的な来歴として、プレートテクトニクスの話などしました。マンガにかぎらず、キャラクター表現に関しては(とりわけ、自分はオタクであるという自意識を過剰に持ったひとには)、大きなモデルで思考することができず、個別の事象にただこだわっていくという態度がありますが、自分がそこに行かずにすんだ理由について話した感じでもあります。
プチグラパブリッシングがかわいいオシャレ雑貨の本を出している会社だったのも良かったです。編集の方も「サイキックTV」といって瞬時に通じるひとだったし。やはりあのタイトルはポスト・パンク世代=ニューアカ世代には訴求するものだったのかしらと。


「マンガ以外にもっとも影響を受けたカルチャーはなんですか」との問いには、もちろん「ポスト・パンク」と答えましたよ。
そういえば昨日、座談会のあと夏目さんとコミック高岡に行ったとき、隣のディスクユニオンの店頭でかかっていたのがジョイ・ディヴィジョンだったなあ。