【国際日本学部】特別シンポジウム「ヴィジュアル・カルチャーと漫画の文法」

もう当日ですが、あらためてこちらでもお知らせいたします。
どうも最近、ツイッターにかまけていて、ブログがなんだかお留守になってます。すいません。


明治大学国際日本学部特別シンポジウム】
ヴィジュアル・カルチャーと漫画の文法――ティエリ・グルンステンを迎えて――
http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0005230.html


[日時]2009年12月23日13時30分〜18時(2部構成・質疑あり) 開場13時
[場所]リバティーホール(明治大学駿河台校舎 リバティタワー1階)
[主催]明治大学国際日本学部  [後援]国際交流基金
[プログラム]
13時30分〜学部長挨拶     
13時35分〜グルンステン氏の紹介 [総合司会:高山宏] 
13時40分〜15時15分  
<第一部>『線が顔になるとき』をめぐって~視覚文化論の立場から
荒俣宏 × 高山宏
――休憩(15分)――
15時30分〜17時30分
<第二部>『マンガのシステム』をめぐって 〜国境を越えたマンガ論の試み
グルンステン×竹熊健太郎×伊藤剛(司会:藤本由香里
*質疑応答(17時30分〜17時45分)
17時45分〜18時
<終わりに>高山宏 × グルンステン
18時   閉会のことば[総合司会:高山宏] 


※先着順・入場無料


グルンステン氏は、フランスのマンガ研究の第一人者的存在です。
先日、このシンポジウムに先立って、京都で行われた国際シンポジウムのレセプション席上で、グルンステン氏と少しお話をすることができました。氏の思考には、やはり「描く側」の発想が少なからず入っているようです。


マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか

マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか



線が顔になるとき―バンドデシネとグラフィックアート

線が顔になるとき―バンドデシネとグラフィックアート

第18回東京ミネラルショーに、ミネラルマーケット名義で出展します。

毎年毎年、告知が間際になっていますが、今年もよろしくお願いいたします。


第18回東京ミネラルショー
http://www.tokyomineralshow.com/


12月11日(金)〜12月14日(月)
東京・池袋サンシャインシティ文化会館 二階・三階
※ミネラルマーケットのブースは二階(第一会場)です。
※御入場の際には所定の入場料がかかります。
 入場券はショー当日にお買い求めください。
 入場料  一般800円/学生500円/中学生以下無料
      (4日間通し・公式ガイドブック付)


今年から、六月のミネラルマーケット以外のイベントでも、出品標本例をウェブで公開することにいたしました。
マーケットのサイトをご覧ください。
http://www3.to/mineralmarket/

西島大介トークイベント当日であります。

「ひらめき☆マンガ学校 公開講義 〜消えたマンガ原稿67ページ〜」です。
当日券も若干数あるようですが、会場である東京カルチャーカルチャーのページに問い合わせ電話番号などが記されていないのでなんともはや、であります。なんだか申し訳ありません。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_091027202650_1.htm


画像は大学のゼミで告知したときのホワイトボード。ぼくがうろ覚えで描いた『ディエンビエンフー』の主人公・ヒカル君と告知内容であります。……字がきたないですね。板書は苦手なのです。





魔法なんて信じない。でも君は信じる。 (本人本)

魔法なんて信じない。でも君は信じる。 (本人本)

ディエンビエンフー 5 (IKKI COMIX)

ディエンビエンフー 5 (IKKI COMIX)

恋虹・裏6話の歌




とりあえずYouTube転載版にて。
今回の歌の主人公は女子高生「美加みかん」ちゃんです。
間奏のちょっとしたフレーズで笑ってしまうのはなぜなのでしょうか。
ニコニコ動画のアカウントをお持ちの方はこっちを。





ソワカちゃん新作ですよ、とかのエントリーを書くと、ユリイカ編集長のY君あたり「またソワカかよ!」とか言って舌打ちするみたいですが、「悪かったな。またソワカだよ!」と返しておくのですよ。リヴィング・ウィズ・ソワカちゃんなのです。

もうだめかもしらんね

日本の基礎科学を蹂躙する事業仕分けの蛮行に怒ったり呆れたりの毎日です。皆さんいかがお過ごしですか。
仙谷由人行政刷新担当相は、この事業仕分けを「これまで一切見えなかった予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と言っています。
この人、1966年に東大に入学していますから、「文革」の何たるを知らずに発言しているわけではありません。
おそろしいことです。


先の政権交代を「無血革命」と言ったひともおられましたが、その結果がこれです。
団塊の世代の方々が掲げた理想が、下の世代のわれわれに絶望をもたらしていると言っていいのかもしれません。


この政権のコンセプトをつきつめると、知的な達成に向けてがんばることや、人生の向上心みたいなものが排除され、ただ生きているだけの人が賞揚される社会が待っているような気がします。
先端研究はいらない、文化的な啓蒙もいらない、ただただまんべんなく均等に子供手当てを支給することが求められている、というわけですから。


科学も、文化も、芸術も、よく考えられたもの、洗練されたもの、先端的なもの、つまり受容できる人の人数が必然的に少なくなるものはいらない、という社会です。


だって「文化大革命」ですよ。
比喩として言っているとして、ではこちらも比喩で返せば、この先にあるのは「下放」じゃないのか、「ポル・ポト」じゃないのかと思います。


「仕分け」の具体的な様子を聞いていて感じたのは、「専門家よりも、何も知らない人間のほうが正しい」という姿勢です。
マスコミで仕事をしていると、よく「それじゃ読者は分かりませんから」的なことを言われたりします。
ちがうよ。読者は分かるよ。少なくともおまえよりはよっぽど頭がいいよ。
構造的には、それとよく似ています。
仮想的に「大衆」を設定して、そこに依拠することで、どれだけでも考えずにものを進めてしまえる。
結果、行き着く先は「馬鹿こそが正しい」「ものを考えていない人間が正しい」という社会です。


これは杞憂でしょうか? 極論でしょうか?
それとも、ぼくのほうに考えが足りないのでしょうか。
むしろ、そうであって欲しいと願います。


しかし、あの仕分け人の考えのなさ、論点の見えてなさを見るにつけ、東浩紀くんの提唱する「民主主義2.0」の説得力はぐんと増した感があります。


※「民主主義2.0」が何かに関しては、検索してみてください。

銀塩二眼レフカメラ@「大人の科学」を「実用的ではない」と言って非難するライター

「付録はトイカメラ、使い方もわかる 今どき銀塩大人の科学二眼レフ」は誰が買う?」
http://ascii.jp/elem/000/000/463/463638/
書き手は「吉田重戦車」という人物。

どうして今さら銀塩フィルムなのか。「銀塩フィルムは痕跡、デジタルは観測」、「銀塩フィルム上にない画像は、改ざんされているかもしれず、信用できない」という銀塩フィルム派の弁は、思想や哲学の領域に入り込んでいて、近寄りがたい。Amazonのユーザーレビューでどんな熱い想いが語られるか、今から楽しみだ。

大人の科学」Vol.25付録の二眼レフは、市販の35mm銀塩フィルムで撮影できるが、撮影の煩雑さや、費用の点で普段使いのカメラとしては全くオススメできない。そもそも現像してくれる写真屋を街で見かけなくなっている。あくまで趣味として、楽しむためのモノだろう。



だそうです。
すでにほうぼうで批判されています。
言うまでもなく、「大人の科学」のふろくを「普段使い」にする人はいないだろうし、そもそも他の「ふろく」を見れば、これが「あくまで趣味として、楽しむためのモノ」であることは自明でしょう。
本当に言うまでもないことですが。


このライター氏が、なんでこんな文章を書いてしまったのかは不明ですが、もし「大人の科学」のコンセプトを理解していないのであれば、理解力に深刻な問題が生じているし、銀塩を愛好する人が嫌いで批判をしたいのならば、「大人の科学」を手がかりにするのは少々無理筋だったと思います。
Amazonのユーザーレビューでどんな熱い想いが〜」というくだりからは、銀塩写真を愛好する人や趣味の存在は知っていて、知ったうえでこの「嫌味」を書いていることがうかがえます。


ツイッターでも言及しましたが、こちらでも。


二眼レフカメラ (大人の科学マガジンシリーズ)

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