そりゃつれないよ、紙屋高雪さん

先日、「思想地図」の拙文について、紙屋研究所さんにラブコールを送ったところ、こんな返答が(拙文へのリンクはリンク先の紙屋さんのエントリーのなかにあります)。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/shisouchizu.html?newsid=3309

いずれにせよ「思想地図」の伊藤剛の論文はざっと見ただけなので、このページではそれについて何か書くことはできません。何か書けるかどうか、あるいはあえて書く必要そのものがあるかどうかも、いまのところよくわからないわけですが。



あらー。
まあ、何でも即答するのがいいわけでもなく、むしろ慎重に構えるのは紙屋さんの美点だと思うんで、この一文もそれだと思うんですが、かなり本気でリキ入れて問いを投げかけたぼくとしては、「ざっと見ただけで」、「あるいはあえて書く必要そのものがあるのかどうかも、いまのところよくわからない」と返されたのは、なんだか寂しいもんがありました……比較的しょんぼりです。


人のことを太平楽を決め込む」とか強い調子で論難しておいてそれはないよ、という奴です。もし今後、結果として「あえて書く必要がない」と決め込んだままになってしまったら(正確には、そう決め込んで「逃げた」とこちらが判断せざるを得ない状況になったら)、そりゃあんまりです。
もちろん、紙屋さんはそういうつもりではないと思ってますが(でもそれなら「あえて書く必要がない」と今後思うかもよとも取れる一文は余計だったと思うなあ……ナニ予防線張ってんだよって言われても文句言えないでしょこれ)。


まーこっちもあれから二年半放っておいたので、最低でも二年半は待とうと思ってます。


あと、紙屋さんが逡巡されている、相手に敬称をつけるかどうか問題ですが、今回の場合、紙屋さんとぼくとで意見が違うなーと思いました。
もとよりぼくのほうが敬称をつけるかどうかについてかーなーりー無頓着(というか、そのときどきの文脈に合わせる。まったく無神経なわけでは決してない)なのと、紙屋さんが「ホラ、ホメたりするときに敬称があるとクールじゃなくてなんかヨイショしているみたいだし、悪口とか書いたりするときには切っ先がニブるじゃありませんか」とお書きになってるのと対比するならば、それこそ「敵・味方」判定をされるような敵対関係よりも、むしろ、たとえば「強敵と書いて<とも>と読む」といった関係のほうがよほどクリティカルだったり「痛い」意見が返ってくることのほうが多いと思ってるということがあります。


というわけで、ここでは「紙屋さん」という呼称を選んでおりますが、むしろオレは褒めっこも悪口も喧嘩も期待してなくて、ただ議論がしたいんだけどなーということはお伝えしておきます。