NTT出版Webマガジン、更新されました/いま「年齢」を描くことの困難

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東方見聞録―市中恋愛観察学講座

東方見聞録―市中恋愛観察学講座



今回は、岡崎京子1987年の旧作『東方見聞録』です。
マンガそのものよりも、マンガを媒介に「時代」について考えるようなものになっています。
はっきりそうとは書いていませんが、いま41歳の中年となった自分にとって、いかに「中年の自覚」を持つのが難しいか、というのが裏テーマでしょうか。


この主題については、また折りにふれ考えると思いますが、ここから敷衍できるのは、かつてぼくらが若い頃に持っていた「若者」や「大人」「老人」の像が、21世紀の現実と合わなくなってきているという話でもあると思います。普通に考えて、いまの60代は昔から考えられてきた「老人」の像とは全く遠いものだし、50代も40代も、かつての「中年」の像とは異なるでしょう。


言葉を変えれば、どの年代にとっても「こう振舞えばだいたい間違いがないだろう」というロールモデルが失効した時代と言えると思います。当然のことながら、中年にさしかかったぼくらだけでなく、いま10代、20代の若いひとたちにとっても、先行する上の世代の変化は、そのまま環境の変化として降りかかってきます。問題は「時代」の変化そのものではなく(それは一意的に「よくなった」とも「悪くなった」ともいえない)、マンガを含めた物語装置では、いまだに昔ながらの年齢観に従った言葉や像を使わざるを得ないということです。


以下、もう少し整理してからでないと言いづらい「ロールモデル」の話ではなしに、まずはマンガに登場するキャラ図像についての話をします。
たとえば、たしか2003年ごろの『金色のガッシュ!!』だったと思いますが、「不便な田舎から都会に出てきて」「都会のあわただしさに吃驚する」「腰の曲がったひっつめ髪で着物を着たお婆さん」というキャラが登場したことがありました(記憶で書いているので、不正確かもしれませんがご容赦)。


これがちょっとひっかかるのですね。この「お婆さん」の像は、いかにも古い。まあいまでも地方へ行けばいないことはない(昨年、盛岡市近郊で見かけました)し、逆にツインテールやら鼻バンソウコウやらと同様の「マンガ的記号」と解釈すればそれでいいのですが、しかし、では「現在」の老人の姿をとらえるキャラ的表現は、どんなものになるのか? どんなものが可能なのか? と自問せざるを得ませんでした。当然のことながら、これは物語内容とも深くかかわってくることです。


もうひとつ例をあげると、『サザエさん』の磯野フネの年齢、あれ48歳なんですよ。信じられないでしょう? 周囲に尋ねてみると、みんな「50代後半?」とか「60歳くらい?」と答える。
でもよく考えたら、小学校3年生のワカメを産んでるわけだから、むやみな年齢であるわけがない。48歳でもなかなか高齢出産だと思いますが、少なくとも原作がはじまった昭和20年代の感覚では、48歳といえばあのくらい老けて見えていたということです(いまwikipediaで確認をしたら、アニメ版は52歳に上方修正されていたようです)。