今日からパリに出発するわけですが

まだ仕事してます。
なぜぼくはこんなに段取りが悪いんだろうと毎度毎度思うのですが、なかなか改善しません。
以前に比べると大分ましにはなってきてると思いますが。


その国際マンガ研究カンファレンス、"Le manga, 60 ans apres..."で、
わたくしに与えられたタイトルは、 "From‘character’to‘kyara': did the otaku culture led Tezuka to his grave ? " であります。
当然のことながら、この問いには "Oui" と "Non" のどちらでもあると答えなければならない。

発表内容は、概ね『テヅカ・イズ・デッド』の要約です。
翻訳の関係があるので、事前に原稿を書いて送ったのですが、ちょっと時間内に収められるかが微妙な感じです(通訳が入る発表の経験がないので)。かなり端折らないといけなさそうなんですが、どうなりますか。
原稿の結びの部分を、少しここにも記しておきます。

もし”Tezuka”という語の意味を、『新宝島』を起源と見てしまうような素朴な近代発展史観による「戦後ストーリーマンガ」を象徴するものとするのであれば、”From ‘character’ to ‘kyara’ : did the otaku culture led Tezuka to his grave ?“ という問いの答えは、”Oui”です。
一方、もし”Tezuka”を、手塚治虫という偉大な作家や、その作品たちのことだとするのならば、答えは ”Non” です。ここでは詳しく触れられませんでしたが、オタクたちが愛するキャラの魅力は、手塚作品には一貫して存在していました。手塚自身は、むしろキャラのリアリティを隠蔽しようにも隠蔽しきれなかった作家と位置づけることもできるでしょう。夏目房之介は、自分にとって「萌え」はよくわからないものだとしつつも、1950年代の手塚の描線に感じた官能性を経由することによって、どうにか理解可能なものであると語っています。

もし海外の皆さんが、日本のマンガを鑑賞し、理解しようとするのであれば、『新宝島』を起源とするような見方を無批判に受け取らないよう、注意して欲しいと思います。それでは、せっかくの豊かさを見失うことになってしまいます。





それはそれとして、出発する前にこれ↓もお知らせしておかないと。