魔太郎ラヴ

goito-mineral2007-02-06

ときおり、無性に『魔太郎がくる!!』が読みたくなることがあります。


それで何度か単行本のそろいを買いなおしているんですが、いま手元にないのです。右の絵も、記憶で描きました。たぶんかなり近いとは思うけれど……以前の仕事先に置きっぱなしなんですね。あれ取ってこなきゃ……といっても、誰かにいじめられて復讐したい気持ちを「魔太郎」を読むことで代償的に晴らしたいとかそういうのではなく、たんに『魔太郎がくる!!』というマンガを読む快楽を味わいたくなっています。


みなさんご存じの作品だとは思いますが、このブログの読者には若い方もおられるので、いちおう知らない方に向けて概要を説明しておくと、いじめられっこの中学生・浦見魔太郎が、不条理なまでに陰惨ないじめ(というか暴力)にあい、それを「うらみ手帳」に詳細につけ、しかる後、なぜかバラの花模様の妙にピッタリした服と黒マントという姿に変身して「うらみ念法」なる技を使い報復をする、というものです。そんな彼の決め台詞は、「うらみはらさでおくべきか!」


これ連載はいつだっけ……豊福きこう『ブラック・ジャック「89.5%」の苦悩』(情報センター出版局 1992)をみてみたんだけど出ていません。雑誌掲載時と単行本の収録順の異同からはじめ、魔太郎が作中でどんなひどい目にあい、どんな仕返しをしたかを徹底的にリストアップしているこの本ですが、肝心なことが抜けています。著者にとってあまりに当たり前になってて落ちてしまったんでしょう……検索するか………ウィキペディアによると、1972年から75年「週刊少年チャンピオン」連載となっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%8C%E3%81%8F%E3%82%8B%21%21


ウィキの記述には、作者である藤子不二雄A先生自身の「自分がいじめられっ子だったこともあるのですが、いじめられっ子が実は凄く強くて、やられた相手に大逆襲するような作品なら面白いだろうと思ったのが本作の出発点です」という述懐が引用されていますが、とくに連載初期の魔太郎は、もっぱらいじめっこの同級生退治に熱心な、いわばピカレスク的な側面もあるヒーローだったわけです。正義の味方というよりは、限りなく「自分の味方」。とはいえ、ほぼ一話完結の連載が続くうち、わりと早い時期から魔太郎への「いじめ」シチュエーションはどんどん不条理なものとなり、さらには不条理を超え、シュールなものになっていきます。
たとえば、あれ何だったかな、魔太郎がたまたま新装開店の中華料理屋かなんかに入ってウマイウマイと食ってたら(A先生の作なので、「ンマーイ!」とか奇声を上げていたかもしれません)、実はそのラーメンに睡眠薬が仕込まれていて、気がつくと首だけだして土に埋められている。なんでそんなスゴイことになってるかといえば、頭のおかしい店主が北京ダックの人間版を作って食いたかったからなんですね。それで魔太郎は口にぎゅうぎゅう饅頭かなんかを押し込まれて……とか、そういう展開。


記憶で書いているんで、実際とは多少違うかもしれません。前述の豊福書をみると、魔太郎が食わされたのはラーメンではなく、「北京ダック?」となっています。明確にどんな料理か描かれていないっぽいですね。まあとにかくわれらが魔太郎は、殴られ蹴られ薬を盛られ、好きな女の子の前で裸にされ、馬鹿にされ、罪をなすりつけられ、可愛がっているペットを殺され、友情は裏切られ、妬まれ、新しい自転車を買ってもらえば壊され、人違いで誘拐され……と大変な目に遭いつづけるのです。


ただ、連載も後半になると、いじめ復讐譚よりもオカルティックなバトルものの色彩が強くなってきます。これは発言として活字になっているのかどうか確認していませんが、小学生読者の反響のなかに「ぼくも魔太郎みたいにいじめっこに復讐してやります!」的なものが増え、A先生が怖くなったらしいのですね。正しい判断だと思います。人気作であるにもかかわらず、これまでアニメ化など一切されていないのも同じ理由でしょう。このことは逆に、本作がそれだけ異彩を放っている唯一無二の作品である証左でもあります。70年代のこの時期、A先生によってしかなしえなかった仕事ということができるでしょう。


ぼくはギリでリアルタイムで連載で読んでいた世代なんですが、真に魔太郎の面白さがわかった気になったのは、ずっと後、大学に入ってからのことです。展開の不条理さ、ちょっとしたセリフ回しのおかしさを楽しむというセンスがついてからです。また表現のレベルでも、妙に実験的なコマ展開があったりして、そちらにも反応するようになっていました。現在でいえば『デスノート』を楽しむ感覚にかなり近いと思います。つまり「ギャグマンガ」としての側面を読むということですね。


なんだか長々と書いてしまって、オチがそれかいといわれそうですが、たとえば誘拐されて納戸に閉じ込められた魔太郎は、引き戸に手をかけて「ドアは、もちろん あかない!」と叫ぶんですね。「あかない!」とかじゃなく、「ドアがあなかい!」でもなく、「ドアは、もちろん あかない!」。「もちろん」てのがいいんですよ。ものすごく。もーここんとこ、繰り返し読めば読むだけ面白いです。楽しいです。ぼくはどうも、この手のなんかちょっとヘンなセリフに過剰に反応する癖があって、『デスノート』でも、ヨツバキラ編で火口がいう「俺は家に帰らないと人を殺せないんだ」というセリフが大のお気に入りだったりします。物語上ではしっかり整合性のあるセリフなんだけど、一歩退いてみると実にヘンテコで、味わいのあるセリフです。それはそれはげらげら笑いましたよ。


そういう意味じゃ、エロマンガ家の砂なんてのも、この手の妙ゼリフの宝庫でしょう。単行本だと『サイバーポルノ』に収録の作品だったと思いますが、セックスが柔道みたいな競技になってる話があって、なんかそのルールが不正な方向に改定されそうになってるかなんかで(すいません、これも記憶で書いてます)、実況アナウンサーが「このままではセックスが駄目になります」とかいうの。
これもげらげら笑いましたね。砂ってのは、一般にはフェミニズムを絵解き的にしかもエロマンガで描いている、いわば教養のひととして見られていますし、作家本人もそう読まれることを望んでいるようですが、しかし彼の才能というか可能性の中心はそこにはなく、むしろ『魔太郎がくる!』や『デスノート』をギャグマンガというのと同じ意味でギャグマンガであることのほうにあると思っています。問題は作家本人がどうもそこに気がついておらず、あれは啓蒙的なものだと思っているらしいということなんですね。それは悲劇でもあり、喜劇でもあります。


なんだか魔太郎から話が離れてしまいましたね。
魔太郎、現在はブッキングから新編集版が刊行されています。全14巻です。





※付記
そうそう、魔太郎といえば、とても良質なファンサイトがあったんでした。あの「変ドラ」のミラー貝入氏による「魔太郎が狂ゥ!!」です。
http://hendora.com/madmatarou/index.html
ここを見ておけばだいたいOKです。このひとの語りはほんとうに素晴らしい。




※付記の付記
このエントリーの冒頭に書いた仕事先に置きっぱなしにしてる単行本の揃いってのは上記サイトでいう「ハード版」、つまりオリジナルの秋田チャンピオンコミックスです。実はぼくはこっちのヴァージョンでしか読んでないのですが(買いなおすときもいつも古書でやってる)、そうですか新装版ではそんなに修正されていますか。まー直すよなそりゃ……。