id:XQOさんが、ご自分の日記に呼びかけを掲載されていました。ありがとうございます。
投票してくださった方々に感謝します。
ひきつづき、『別冊宝島EX マンガの読み方』の復刊投票をお願いします。


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よつばと!』3巻を読む。

このところ、『げんしけん』『鋼の錬金術師』『Gunslinger Girl』『ハチミツとクローバー』『シガテラ』『DEATH NOTE』……と、新刊が出るのを楽しみに待ち、発売日にいそいそと買いに行くマンガがちゃんと続いている。うれしい。すごく幸せな気持ちだ。マンガを読み続けていてよかった。

そう思うのも、一時「いま、ここ」のマンガが読めなくなった時期があったからだ。それは十年ほど前のことなんだが、当時、「マンガ評論」の世界で猖獗をきわめた「マンガはつまらなくなった」言説をかなり真に受けていた。それがあのころの気分だった。いまでいう「萌え」は、マンガを浸食し駄目にするもののように感じられていた。その実、自分は「萌え」ていたというのに、そのキャラに向かう感情を強く抑圧していた。
その抑圧は、男性主体のホモフォビアと構造的にはよく似ていると考えている。だから、萌えフォビアという語も使ってみたわけだが、その主張したいところは、少なくとも私のような者にとっては、「萌え」の存在を認めなければ、マンガをはじめとする現在のキャラクター表現にアクチュアルに関わることはできないということだ。というよりも「萌えている私」を認めて後は、よりくっきりとマンガを「読む」ことができるようになったように思う。やはり「否認」し続けることは、ただ苦しいだけだ。だから、お節介にも「楽になれよ、みんな」とか言っちゃうのである。


これは個人的な体験だけれど、マンガを主題で読むよりもまず表現として読むという「読み」を意識して先行させるようになったという言い方をすれば、一般化は可能だろう。これは自分がどんどん歳を取り、思春期的な感情から遠くなっていくなかで、どうすれば、それでもマンガが好きでいられるか? を考えた結果でもある。現在のぼくは、いままでで一番、マンガを読むことが楽しくて仕方がない。