1980年のマンガ批評同人誌「漫画新批評大系 vol.14」で、「大塚えいじ君」による米沢嘉博(相田洋名義)批判を読む。大塚英志、デビュー前の投稿だ。ちなみに、この「漫画新批評大系」を出していた批評同人「迷宮」が、コミケ準備会の母体*1である。

しかしこの「漫画新批評大系」は字が手書きで読みにくいことこのうえない。さらに収録されている文章の多くが青くて熱い運動のノリに貫かれているので、うかつに読み込んでいくと、ついこっちも引っ張られてしまう。それでも、たとえば後の「表現論」の萌芽が見られたりして、見るべきものは多い。もっとも、その多くが流産してしまったのだけれど。

こういった場からは、マンガを語るのに枠組みもなければイデオロギーもない、強くいえば知的な意味で「武装解除」したひとだけが残ったといえる。具体的には村上知彦米沢嘉博だ。かれらの方法論は「ぼくら語り」と呼ぶべきもので、けっきょく「自分の感性だけを最優先しろ」というものでしかない。その態度だけが残り、先行するマンガ批評や研究をまったく参照することなく「いきなり」自分の言葉で語るという姿勢が、あたかもマンガについて語ることの「規範」であるかのように続くこととなる。
よく「マンガには見るべき批評が存在しない」という紋切型がきかれるが、それはどうも、70年代〜80年代に、過去の言説への「切断」が行われたためではないかと考えている。「マンガ批評」は、一度、「ぼくら語り」によって殺されてしまったのだ。それをもっとも強く行ったのが、この「迷宮」グループだろう。
また、大塚英志は、この「漫画新批評大系」へのなかばアンチとして出てきている。


それから、すがやみつる『漫画で億万長者になろう!』(1984)も検討。面白い。この本は80年代前半までのマンガ状況を知るうえでは基本文献のひとつだろう。原稿料の相場も出ている。それを基準にすると、新人の原稿料はこの20年でほぼ倍になっている(ジャンルによって違うが)。ただ、中堅どころの原稿料は変わらず、据え置かれていることが分かる。

*1:「母体」という言い方が適当かどうかは、少し自信がない