宮本大人の仕事について

宮本大人(ひろひと)の「マンガと乗り物〜新宝島とそれ以前〜」(霜月たかなか編 『誕生! 手塚治虫ISBN:4257035404  所収)を再読する。

手塚治虫以前のマンガ表現の蓄積を丹念に追った論文だ。手塚の『新宝島』が戦後マンガ史の起点とされていることについては、よく知られているところだろう。しかし、後にたとえば藤子不二雄A先生が熱っぽくその衝撃を語るように、本当にそれは、突然、降って湧いたように現れたものなのか? ……という検証を具体的に行った、かなり意欲的・衝撃的な論文である。
この論文が画期的なのは、手塚治虫がいまのマンガの絶対的な起点であるという通説、もっといえば手塚神話みたいなものに対し、実証的に疑義を呈したという点で、我々のマンガ史観に修正を迫るものだからだ。後の大塚英志の『アトムの命題』も、竹熊健太郎の『追跡者』(「IKKI」連載の、常に早すぎた幻のマンガ家・韮沢早を追った偽ルポルタージュ)も、宮本の仕事を踏まえている。つまり、宮本の仕事は静かにではあるが、確実にマンガ言説に影響を及ぼしている。

宮本は、藤子A先生の衝撃は衝撃として確かにあった、と認めたうえで、しかし、手塚の『新宝島』を用意したマンガ表現の蓄積は、戦前の赤本などのマンガに存在した、と主張する。
この一見して矛盾する事象を、宮本は実は戦時下の表現統制による切断に起因するとしている。ようは、戦争末期、マンガが自由に描けなくなり、思うように発行されないブランクの数年間があり、当時、子どもだった藤子A先生たちはそれ以前を知らず、結果、手塚が唐突に現れたような印象を得た、という解釈である。もちろん、そこで手塚が優れていて、表現上の進展をもたらしたことも、宮本は同時に指摘する。しかし、それ以前の表現が、まったく手塚的なものと切れていたのではないということも強調している。


この宮本の論文は、以下の点で示唆に富む。
ひとつは、一般に自明なものとして「切断」とされているものに、ある「連続」が隠れているという観点から、自明とされてきた前提を疑うという視点のあり方。
そしてもうひとつは、上記のことと表裏一体に、戦争による大きな「切断」(この場合は戦時下の統制)をきちんと置くことで、逆に戦後-戦前の連続をくっきりと見せるということ。

この二点は、ぱっと見には分かりにくいが、実はとても単純なことだ。
ひどく大きなレヴェルでの「切断」は、自明視されることで却って透明なものとなり、顧みられなくなる。そして、そこで本来は連続しているレヴェルのものに「切断」があるかのように語られるという結果となる。ここでいう大きなレヴェルの切断とは、いうまでもなく戦争によるもの、本来ならば連続しているレヴェルのものとは、マンガというジャンル内での表現である。


これら宮本の仕事がもたらした思考は、単に「昔のマンガ」に留まらない。
ここ二十年ほどの日本のマンガ状況を考える際にも、大きな助けとなっているのだ。

この「はてな」でも何度か触れているし、また先に出た「本とコンピュータ」でも書いている(というよりも、いま呻吟している書き下ろしの主題だ)のだが、ぼくはマンガ史のもうひとつの「切断線」を、1986年に置いている。そしてそれは、いまから遡行することではじめて見えるものではあるが、ともすれば「戦後マンガ」という大きな枠組みの起点とされる手塚の出現による「切断」と対比されてよいほどの大きさと広がりを持っていると考えている。
ただ、手塚の出現と異なるのは、86年の「切断」の指標は、数多く求められ、単一の焦点を結ばないということと、それが表現の内部で起こったということだ。呉智英の『現代マンガの全体像』の刊行、いがらしみきおぼのぼの』の連載開始などがその指標群として求められる。また、この指標群をもう少し緩やかな時間的広がりでとらえるのならば、この数年のちの『サルでも描けるまんが教室』や、石ノ森章太郎の「萬画家宣言」、高河ゆんのメジャー展開……なども含められるだろう。これらの指標群は、「マンガ史」が人々にとって自明なものとはならなくなったということと、キャラクターのテクストからの自律化というふたつの要素にほぼ代表される。

ここでぼくは、こうして「マンガ史における切断線」を指摘することで、逆説的にそれ以降のマンガと、それ以前のものの連続を指し示すことを指向しているわけだが、その発想は、かなりの部分を宮本の仕事に負っている。

ちょっと考えてみてもらえば分かると思うけれど、「いま」のマンガも、80年代末以降のものと、それ以前のものとに分割してとらえられている。これは、論者の世代的・年齢的な制限にのみ帰せられるものではない。若い世代の間にも、たとえば「ちゃんとしたマンガ/ちゃんとしていないマンガ」という形での「分割」が共有されているからだ。これは戦前のマンガと戦後のマンガが、きれいに分割してとらえられているようなものではないのか。


してみると、御大・手塚治虫は実にジャストなタイミングで没したということになる。ぼくは当初、このようなマンガをめぐる視界の分割、正確にはマンガをめぐる言説の分割は、「手塚の死」の衝撃、手塚の不在によってもたらされたものだと考えていた。しかし、論者たちの言説を仔細に読み込むうち、諸々の作品群を読み直すうち、別の「切断」が起きつつあるまさにその時期に、手塚は生涯を閉じたという考えに傾いてきた。つまり、偶然である。あと五年、十年生きて老醜を晒すことも、あと五年、十年早逝して、過剰に神話化されることもなく、手塚は、まさに計ったようなタイミングで姿を消した。

さすが神様、去り際もキレイなのだ。