はだしのゲン

最近、google検索って「はてなダイアリー」をはじくように設定されてない? キーワードリンクの塊だからやたらと上のほうにはてなばっかり表示されるっていう苦情でも来たのかしら。同じ検索語でもyahooだとひっかかってくるのに、googleだと全然、なんてことがあるようだから。


いま売っている「週刊文春」に、「いまこそ子供に読ませたい20冊の本」という記事が出ていた。佐世保の事件をうけての記事である。

中学生同士が殺し合いゲームをする『バトルロワイアル』。佐世保の加害女児が好きな本として、文集に挙げていた小説である。
それでいいのだろうか?
我々大人が小学生に読ませる本とあ、一体どのようなものか?
教育関係の識者六人への取材を元に、小誌は以下の二十冊を薦める。

というリードが示す通りの内容だ。
どういう本を読もうと、どういうゲームをやろうと、そのことの直接の結果として犯行が行われるわけではないのは、いまさら言うまでもないだろう。まぁこの記事も、事件そのものからは離れ、子を持つ親の不安みたいなものに呼応した企画であろう。ぼくは独身だし子を持つ親の気持ちは想像するしかないのだが、事件とは別に「薦めておきたい本」があるという人情は分かる。いってみればその程度の企画だ。


さてこの記事中、ノンフィクション作家の久田恵氏の返答に少々、驚かされた。

久田恵氏は、本が自らの息子とのコミュニケーションの道具になったと語る。
「息子が四年生のとき『はだしのゲン』を読んで、原爆で廃墟になった"ヒロシマ"で困難を極める主人公のゲンに惹かれていました。(中略)子供の心を揺さぶる作品だと体験的に実感しました。(後略)」


さらに「薦めたい本」リストには、中央文庫版全七巻が掲載されている。

久田恵は、文春編集部は、『はだしのゲン』の後半部が、実は子供が拳銃をブっぱなし、人をブチ殺すマンガだということを知ってるのだろうか? そこまで折り込み済みで『はだしのゲン』を挙げているのであれば、それはそれで立派だと思う。まさに、作品の価値やそこから受け取るものは、殺人や暴力が描かれていることとは別に存在している、と言外に主張しているからだ。
まぁ……でも、たぶん、そんなことはなく、単に後半部を読んでないだけのような気がする。


はだしのゲン』の後半部のパートは、意外に知られていない。

そこではゲンたち原爆孤児は寄り添いながら懸命に自活する。勝子という女子が作った洋服を隆太たちが街頭で売り、いつかお店が持てたらいいね、という展開である。そこまではいい。そこにムスビという少年がいて、彼は営業担当のようなことをしているのだが、いかがわしいバー「マドンナ」のママに覚醒剤を薦められ、すっかりシャブ中にされる。そして「麻薬を打たんと死にそうじゃ この金を使わせてくれえ……」と、皆で溜めていた開店資金に手をつけ、最後は売人に殴り殺されるのである。
そして、ゲンの弟分である隆太は、拳銃を懐に飲み、バー「マドンナ」に乗り込む。そこでのセリフはこんな調子である。

「命を もらおう かのう……」
「おどれの安っぽい命をもろうても たいした価値はないが まあもろうたるわい… 覚悟せえや」
「おう わしゃ おどれらワルには 同情せんぞ」


そして12ページに渡り、売人の額を撃ち抜き、その女である「マドンナ」のママに、両手をカウンターの上に載せさせたうえで手の甲に一発見舞い、組の幹部を呼び出させて皆殺しにする。さらにシビれるのがこのセリフ。

「子分が死んで 親分だけがのうのうと 生きてるんは 不公平じゃけ
 公平な取引きをしようと 言うことじゃ
 親分にも 死を配給して 死んでもらうことじゃ

 民主主義の世の中じゃけん 平等にせんといけんわい

隆太、カッコよすぎ。
そして親分の額を一発で撃ち抜き、ペッ! と唾を吐きかける。このときの隆太は、たぶん小学生中学生相当の年齢という設定だろう。

ぼくは『はだしのゲン』が大好きだが、この後半部、主人公たちがときに暴力的にサヴァイヴする展開がとりわけ好きだ。そこには世の中の複雑さや割り切れなさが叩きつけられているように感じる。言い表しがたい高潔さと、表裏一体の泥臭い猥雑さも含めて、この作品はやはりデモーニッシュな怪作なのだ。