How far we are apart?

あるネタをURL引っ張って書こうとしたんだけど(リンク先のビジュアルもなかなかだったんで)、「それまだナイショ」といわれてたのを思い出しヤメル。



げんしけん』四巻該当分のゲラが届くので読む。斑目くんがどんどんいいヤツになっている。ていうか、ここに出てくる連中、みんないいヤツじゃん。id:hesoにいわせりゃ、オレの視点は春日部さんなんだそうだが(まー実際にはオレはキャラに萌えるし、エロ同人誌も買うのでそこは違っている。ようは、立ち位置のことだろう)。

現実にも、ここ五年ほどは萌え同人作家とかそちらのオタ諸氏とのつきあいが多いのだけれど、彼らはいささか面倒くさくもある一方、概してとてもシャイな、愛すべき人々である。第一世代オタクの、退行の姿勢を他者への攻撃に転化しているような連中ばかりを先に見てきたので、逆にそうした感を強く持つのかもしれない。


これは若いひとに率直な気持ちを訊いてみたいのだけれど、第一世代(30代後半以上)のオタのひとびとって、若い世代に対してはただ闇雲に抑圧的なだけなんじゃない? よくわからない倫理観(しかも、単なるナルシシズムに転化するようなものだったりする)を振りかざし、しかし、明確に意味を持った指針も、具体的な作品鑑賞の手がかりも示すことはできず、知識の断片の集積のみをもって言外に「私を尊敬しろ」と迫るような連中。

これって何かに似てない? 中学や高校でただ威張りくさってるけれど、その学科の内容について、ちょっと突っ込んだ話になるともう何もいえない教員どもだよ。

オタ親父ってすぐに「濃い」とか「薄い」とかいうだろ? 「濃度」ってのは数量化可能な概念だ。彼らはそういう言葉を好んで使う。なんのことはない。「濃い」だの「薄い」だのってのは偏差値の暗喩なんだ。それが無意識に選択されている。そのくらいには根は深い。
たくさんの本数のアニメを見たこと、たくさんのマンガを読んだこと……だけをもって評価の基準にするという姿勢もそうだろう。1000冊読んだって分からないヤツは分からないし、100冊読んだって分かるヤツは分かる。そこには勘のよさや抽象化能力といった、才能の差が厳然と存在している。しかし、それを捨象できるモデルを彼らは好む。共同体内部の個々人の差異を見ず、機会と努力の均等を建前とするモデル。そんなの模試の成績みたいなもんだ。


彼らは過剰に「学校化」されている。
ここはもう「学校」じゃないし、あんたはすでに40歳になろうとしているのに。