心意気は分かる。だがしかし。

http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Palette/1058/index.htm#040313
「オタクだからこそ、女の子をまもります」というのは誤りだろう。素朴な気持ちとしては分からなくもないのだが、この言葉はいわゆる「一般」には届きにくいのではないか。実際のところ「子どもを相手にした性犯罪は許さない」という主張が重要なのであって、「オタク」という主体が「子ども」を直接、守るの守らないのという主張には、やはり首をかしげざるを得ない。これがレトリックであることは分かっている。また人権思想的な児童保護の体裁を保つという意図かもしれない。それは百も承知だ。でもこれは、やはりレトリックをレトリックとして分かってくれるひとを相手にしたメッセージでしかない。もっといえば、「外」に向かうメッセージを志向していながら、その実、「オタク」の領域内にしか向いていない。

また、バナーに書かれたキャチコピーだけでなく、サイトに書かれた文章に、どこか自己卑下的な文言が連なっているのも気になる。
これはもう何人ものオタを自認する男性諸氏にいい続けてきたことなのだが、「ぼくは『一般人』から気持ち悪いと思われてるんじゃないか? きっとそうに違いない」という自意識から来る構えが、実は「オタクの気持ち悪さ」の源泉なのだ。「オタクが気持ち悪い」とされるという問題において、もし「敵」がいるとしたら、その最大にして最強のものは、当のオタク自身のこころの中にある。
そのあたり、マンガ『げんしけん』は実に上手く描いている。


とはいっても、この主張の主の気持ちは分かる。また、オタク的な語り口の背後にあるであろう心意気には、控えめながらエールを送りたい。だからこそ、苦言めいたこともいっている。

オタ関連だけでなく、マスコミ(とくに新聞、TV)の紋切り型の報道には、怒りを通り越して呆れるばかりだ。それはたぶん、これだけ複雑で多様になった社会に対し、なぜあなたがたは、そんなに不勉強でいられるのですか?という苛立ちに基づく。なぜあなたがたは、現実をまっすぐ見ようとしないのですか?といいかえてもいい(マスコミの報道に関連しては、以前、こんなことを書いていた。id:goito-mineral:20031108#p1)。
ただし、「オタクだからこそ、女の子を守る」というメッセージや、自己卑下的な語り口をどうしても取りたいのならば、本当に、身内の間での合い言葉にとどめておいたほうがいい。それこそ、半ワライで済ませられるレヴェルに(そういう意味では、かつて横浜会議コーディネイターをつとめ、ある程度「政治的」なものを帯びた位置にいるぼくからリンクを貼るのは、あまりよくないことかもしれない)


ぼくらは、決して女の子を守れやしない。

自警団を買ってでるような事態がいかにナンセンスかを想像すれば、その現実的な不可能性は、すぐに分かってもらえると思う。君も、ぼくも、ただ無力であり、そしてその無力さを真摯に見つめながら、それでも何かするほかないのだ。
これは諦念とは微妙に異なる。


かつて、宮崎事件のとき「ここには、10万人のミヤザキがいる」とコミケが報道されたという。ぼくはその放送をみていないのだが、米沢嘉博さんにきいたところ、「ニュースステーション」だったそうだ。ぼくがその話をきいたのは、松文館裁判の傍聴で米沢さんに会ったときだった。「あのとき、コミケ準備会からTV局に抗議をしていたら、ずいぶん状況が変わっていただろう」といっていたのがよく記憶に残っている。
そういえば、米沢さんとは児童ポルノ法をめぐる記事への抗議に関する、朝日新聞社との意見交換会でもご一緒した*1。時代は変わりつつある。


 

*1:朝日新聞 2002年5月11日の記事「選択議定書への署名でマンガやアニメも規制に」に対して、山口貴士弁護士より「事実と異なる」という抗議文を送付、同7月11日行われた、朝日新聞担当者、AMIメンバー、横浜会議の子供代表・ユース実行委員による意見交換のときのこと。なお、同13日、朝日新聞紙上に訂正記事が掲載されている。