過眠症とわたくし

毎日、薬を飲んでいるものだから、口のなかに妙な味がする。味というか違和感というか。ごはんがおいしくないんだよねえ。かといって飲まないと日常生活を送れないし。
世間では欲しがるひとも多い類の薬なんだけど、できることならもう使いたくない。うんざりだ。常用しはじめて(ということは、病院に通うようになって)6年目。いつのまにか古参患者の域に達している。そーいや最近、患者の会に顔出してないなー。


ぼくは特発性過眠症という、ナルコレプシーよりも稀な過眠症を持っている。「眠り病」である。ひどくなったのは7〜8年くらい前だが(いちばん状態が悪かったのは97〜8年ごろだ)、発症はおそらく12歳ごろだろう。高校のころから何度も病院にはかかってきたのだが、31歳のとき、たまたまナルコレプシーを診た経験のある心療内科医に出会い、ようやく過眠症と診断された。その間、19年。最初は「ナルコレプシー」の診断名でそのクリニックに通っていたが、状況がはかばかしくないので、自分で図書館へ行って睡眠学の教科書を読み、いま通っている専門の病院を探し当てた。そこであらためて「特発性過眠症」と診断された。それまでは医師たちの無知によって治療を受けられずにきたわけだ。そして、自分が病気だという認識もできず、ただ自分は駄目人間なのだと漠然と思っていた。当然のことながら、自己評価も低く、それがまた能力の発揮を妨げていた。何をやってもどうせうまくいきっこない、という思いこみがこころのどこかに常にあり、反面、何かしなきゃ、どうにかしなくちゃ、とただ焦ってもいた。
 

なぜか日本では、ナルコレプシーをはじめとする過眠症はとてもレアな病気だと思われているらしく、その思いこみから、診断の候補から外されてしまうらしい。最初にぼくがかかったのは名古屋市立大学病院の精神科で、高校の保健室からの紹介だった。そのときの主な訴えは気分的な障害だったのだが、そこで、朝日新聞に載っていた色川武大のエッセーに書かれたナルコレプシーの症状があまりに自分の状態と似ているため「ではないのですか?」と尋ねたら、怒られた。「あなたは断眠状態に対する耐性が弱いだけで、そんな稀な疾患であるわけがない」と。
断眠状態に対する耐性が弱い」というのも、いまから考えてもまったく意味の分からない回答だし、「あるわけがない」というのも医師としておかしな対応だ。アメリカだったらいまからでも訴えられるんじゃないか。こういう言い方が許されるかどうかは分からないが、結果として一介の高校生の「診断」のほうが正しかったわけだから。
それからN病院の神経科、T医大病院の神経内科と行ったがまったく駄目。どちらもひどい偏頭痛でかかってみたのだが、問診の過程で過眠にも言及したわけだ。そしたら、Nではまったく取り合ってくれず、T医大では「ああそうですか」でオワリという、かなり不可解な対応をされた。T医大病院のドクターは個人名を覚えているので記しておく。たしかOという姓のひとだった。90年ごろの話だ。
ここで逐一、病院の固有名を出しているのは、それだけ憤りというかうやるせない気持ちがあるからなんだけど、後に斎藤環さんと知り合ってきいてみたら、どうも医学部で学ぶ教科書に「ナルコレプシーは稀な病気」と書いてあるらしいのだ。斎藤さんも「特発性過眠症」はご存じなかった。日本人で確認されている患者数が数十人程度なので仕方がないのだが、これが一般的な精神科医の見解だと思う。この疾患に関してはまだ研究者の領分なのだろう。


実際には、ナルコレプシーをはじめとする過眠症はけっして稀な疾患ではない。これはいまかかっている医師(本多裕氏・日本睡眠学会の会長でもあった。蛇足ながら、かつての阿佐田哲也の主治医)の受け売りなのだが、世の中的に過眠症自体が病気だとは思われていなく(「なまけてるだけじゃないの」とかいう無知と偏見にさらされてもいる)、だから病院にかからない、というだけのようなのだ。特発性過眠症も、これは見積もりようがないのだが、潜在的な患者はいま病院にかかっている患者数の千倍はいるんじゃないか、といわれている。
そういえば、ある雑誌で担当についた編集者と話をしていて、彼女が日常的にナルコレプシーの四徴(睡眠発作、脱力発作、入眠時幻覚、睡眠麻痺)を持っていることを聞き出したことがある。わりと軽度なもので、仕事もできていたわけだが(支障があったかどうかまではきいていない)、彼女はそれを病気だとは思わず、霊障だと思ってたのだそうだ。Nさんそれ、ナルコレプシーだって、病院に行ったほうがいいよ。といったのだが、その後どうしたかまでは分からない。これは偶然、そういうことがあったという話だが、その程度にはある病気なのだと思う。
というかですね。過眠症に対するこれらの対応や、もっと一般化して医師の無関心には、どこかしら「否認」の身振りを感じるのですね(かつて「ひきこもり」を疾患として認めなかったような?)。なんでもかんでも「否認」にしちゃうのもどうかと思うけれど、かなり怪しい。そもそも過眠症が疾患として問題となるには、ひとが時間を分節し、切り売りするような労働の制度が確立する必要があるわけで、その意味では近代の病ともいえる。実際、ナルコレプシーが疾病として認知されたのは19世紀後半である。



……最初の四行を書いたら、なんかイキオイで一気にここまで書いてしまった。患者の会から会誌の原稿を書け書けといわれて何年も放置してきてるので、これ元にしようっと。「はてな」って役にたつなあ。というか、ようやく自分の病気を相対化して言葉にできるようになってきたってことなんだと思う。
それから、この「はてな」を読んで、ひょっとしたら私も……? と思ったひとがもしいたら、専門のクリニックにかかることをおすすめする。去年の五月から「代々木睡眠クリニック」が開設されている。