Happy Birthday to Jesus Christ

熱がさがりません。


夜、住宅街を歩いていたら、新聞折り込み広告を丸めたのが飛んできた。「?」と思い足許を見ると、同じように丸めた紙がいくつも落ちている。紙つぶての飛んできたほうを見ると、そこの家のサッシが開き、目を泣きはらして怒った顔の男の子が、紙を丸めては外に向かって投げている。歳のころは20歳くらい。彼に何があったのか。
一般的にはナサケナイ、という事象だろう。ぼくにしても、最近は、親の気持ちも少しではあるが想像できるようになってきた。親の立場に立った自分も想像するようになってきたともいえるし、自分がどれほど親に嫌な思いをさせてきたのか、という悔恨も同時にある。でもオレはこういうのに弱いんだ。彼のどこにも行き場のない感情を考え、ひどく切なくなってしまう。
こんなことをしてもどうしようもないのも分かっている。こころのどこかが冷たく、冴えわたっているのも分かっている。しかし、この馬鹿げた行為をやめることができない。そんな心情であるに違いない。ぼくは、きみを知っている。
つまらないことで口論になったり、些細なことにつっかかったり反論したとき、その場にいない誰かを非難して目の前の誰かとの共感を確かめているとき、思いつきの言い訳を並べ立てているとき、みんなそうなんじゃないのか。


仕方のないことってのはあるよ。
でもさ、世の中には現実しかないんだよ。

「世界はひどい。
 だけど、人生は素晴らしい」





それはそれとして、アウトサイダー・アート・テンプルを愉しむ比類なき面白サイト「珍寺大道場」に、ぼくらが提供した情報をもとにしたルポが掲載されました! 
「大量の石仏と石像の無言の宴! #164 石仏の森&石像の里 /富山県」がそれです。昨年、某鉱物産地の帰りに発見した場所ですが、サイトオーナーの絶妙な語りとともにお楽しみください。画像だけでも引用しようと思いましたが、怖すぎるのでやめました。
あ。ここで紹介されている「おおさわの石像の里」は、一見どころか二見、三見の価値はあります。ありすぎですよ。シュヴァルの理想宮とか、ワッツ・タワーとか系のものとしてたいへん価値のあるものだと思います。それも、この場所に身を置いて体験することが重要な、環境系アウトサイダー・アートでしょう。初見のときには「なあんだ。あの世っていうのはこの世にあるんだ」という、西原理恵子×鴨志田譲の『アジアパー伝』に出てきたセリフを思い出したもの。カンボジアのキリング・フィールドに建ってるホテルでのやつを。



追記:google検索をかけてみたら、「おおさわの石像の里」について、「Barよよよ 日本全国(?)お脱力スポットの旅・・・」にもルポが掲載されているのを発見*1。こちらもあわせて「石像の里」を堪能ください。行ってみるのがいちばんだけどね。

*1:画像多数。「石像の里」の舞台裏にも迫っている。パンフレットまで用意されているのか! そうか……。石像はすべて中国製だったのか。