マンガ評論系ブログ・テキストサイトについてのコメントが読売新聞に載りました。

http://www.yomiuri.co.jp/net/feature/20080130nt0e.htm


さきごろ刊行した拙著『マンガは変わる』を見た記者の方からお話をいただきました。
もとより、ネットによるマンガ言説環境の変化については関心を持たれていたそうなんですが、紙屋研究所さんSomething Orangeさんひとりで勝手にマンガ夜話さん、そして漫棚通信さんと、ウチを読まれている方々にはおなじみのサイトが紹介されています。


実はこのあいだ、紙屋高雪さんとははじめて電話でお話をする機会があったんですが(紙屋さんが本を出された築地書館で作業をしていたら、ちょうど紙屋さんから電話があり、社長が「いま伊藤剛さんが来られているんですが」と言って代わってくれた)、そこで、まがりなりにも紙媒体で「プロでございます」と仕事をしている身としては、優れたブロガーはいちばん怖い読者だという話をしました。「怖い」というとちょっと語弊があるんですが、緊張感を与えてくれる、よき人々という意味ですね。
と書くと、「上から目線」でモノを言ってると勘違いする方がおられるといけないので、急いで付け加えておくと、どちらかといえば畏まるのはこっちなわけです。もとより、テヅカイズなどここ数年のぼくの著作活動は、そうした「環境」への適応としてあります。
逆にいえば、いかにそれまで紙媒体ではいい加減な「マンガ評論」でも仕事が出来ていたか、ということです。
もちろん、優れた仕事をされた方も多いのですが、その一方で、論理的な思考能力も、批評的な鋭さもなくても、「ファンダムの重鎮」(笠井潔)であったり、適当な「学」の権威らしき看板さえあれば、言説の内実は問われることはなく、専門家のような顔をすることができた。読売のコメントでぼくが「フェアな時代になった」と言っているのは、誰であれ平等に言説の内容で評価されるようになった、という意味でのことです。例の竹内一郎の「事件」はそうした変化が明るみに出たものだったと思います。


それはさておき、紙屋さんのご著書ですが、言及するとなるときちんとせねばならず(社会反映論と表現論は二項対立するものではない、とか)、ここ二ヶ月ほどずっとまとまった時間が取れずそのままになっていました。なんか申し訳なかったです。いまさらながら、せめてアマゾンへのリンクを。


オタクコミュニスト超絶マンガ評論

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