横浜国立大学で講義をしてきました。

昨日、無事に特別講義を終了いたしました。
横浜国大ははじめてでもあるし、一人だと心細いので(笑)、NTT出版の担当・ウエクサ君に一緒に来てもらいましたよ。


横浜国大の第一印象は、まず遠い
駅から物理的に距離があるんですが、それ以上に心理的に遠さを感じます。キャベツ畑をつっきる丘陵の尾根道をずんずん案内されたせいかもしれません。あー露頭があるなーロームかなー横浜だと新第三紀の終わりくらいの層が出ててもいいのかなーとか考えながら歩いていました。それから横国といえば故・櫻井欽一氏も非常勤講師(鉱物学)をされたことのある大学なんですが、先生、神田須田町から毎週通われたんですか……とか思ったり。
そして一般には「広い!」という印象が持たれるのでしょうが、私はもっと広い(たぶん)名古屋大の出なので、むしろ懐かしい感じがしました。学内の雰囲気がちょっと似ている。ほんのチラっと見た印象なので違うかもしれませんが、東北大とも感じが似ているんじゃないかな。


聴衆はざっと見渡した感じ、約6〜70人。ほとんどが学生の方でしたが、なかに50代の方もおられました。講義自体は学生の運営によるところが大きいとのことで、なかばこちらも身を任せるくらいのつもりでいたんですが、フタを開けてみたら半分以上、ぼくが一人で喋り続けるというものになってしまいました。まぁそれなりに内容は詰め込んでいったので、結果オーライだとは思いますが。


具体的には、事前にお題として「『テヅカ・イズ・デッド』は誰に向けて書かれたものか」というものが提示されていましたので、本ではあまり書かなかった、マンガ言説の系譜と現状に対する自分の認識を整理して話をしました。主に「ぼくら語り」の弊害や、「素朴な語り」を優先させよ、という抑圧についてですね。
本当はこの本↓に所収の瓜生吉則さんの論文「読者共同体の想像/創造―あるいは、「ぼくらのマンガ」の起源について」も参照すべきところだったんですが、ちょっと間に合いませんでした。講義を受講した学生の方は、こちらも読んでみてください。


カルチュラル・ポリティクス 1960/70

カルチュラル・ポリティクス 1960/70



学生の方からももちろん意見がいくつか出され、そのうちにはクリティカルなものもあり、頼もしく思いました。よく読みこんでもらっている印象です。また『テヅカイズ〜』が、「マンガからものを考える」という営みに対して、一定の「踏み台」足りえているということを目の当たりにできた感があります。嬉しかったです。
学生のみなさん、呼んでくださりありがとうございました。


今週金曜(10日)はこれの「続き」というわけではありませんが、朝日カルチャーセンターで講義をします。今度のは「キャラ/キャラクター」という概念にむしろ焦点を当てる予定でいます。まだ申し込みは可能だそうですので、関心のある方はぜひ。
お申し込みはこちら↓
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0601koza/A0102_html/A010217.html