いまさらですが。

手塚治虫『白いパイロット』を再読。あらためてエロいなあと思う。
もちろん直截な描写があるわけでもなく、それどころか具体的な恋愛すら描かれていないのだが、エロティックなのである。そのココロは、敵味方に分かれて互いを追う”双子”の主人公のさまにある。
この作品についてのこういった感想は、誰か少女マンガ家の大家もどこかで書いていたと思うが、うっかり失念(竹宮惠子?)。お姉さまがた、フォローミープリーズ。


白いパイロット (小学館文庫)

白いパイロット (小学館文庫)



少年主人公であり、もちろんショタキャラであるわけだが、「キャラ」の表現制度上の特性である「複製」(同じ「顔」をしたキャラをいくらでも描くことができること)が利用されている。さらに、微妙にネタバレになるのでなぜかは説明せずにおくが、これがとてもオートエロティックなのだ。こんなもんを当時(連載は1961〜2年「少年サンデー」)の牧歌的な明朗活劇少年マンガのフォーマットに載せていたわけだから、やっぱり手塚はすごいなあ、キチガイ(もちろん褒め言葉)だよなあと思う。


「萌え」の元祖はもちろん手塚なわけで、というよりも80年代以降に大きく顕在化した「萌え」的なものこそ、手塚が用意した、あるいはマンガ史なかにもたらしたものだと考えている*1が、萌え好きの読者は手塚をどの程度読んでいるのだろうか。でもたまらんですよ。『白いパイロット』は、20年ぶりくらいに再読したのだけど、実に激萌えでした。「萌え」の”原液”って感じがした。

*1:「萌え」の定義にもよるうえに、戦後の手塚がそれまでと違い「映画的」であったがゆえに革新的だった=手塚以前には「映画的」なマンガはないという通説の誤り(戦争によるマンガ出版の切断と、映画史に対する無理解に起因するもの)と同じ轍を踏む可能性もあるので、慎重な態度を取るべきではある。ゆえにまだ実証的な確信には至っていない。本当はさらに戦前のマンガに対する調査が必要。たとえば加東てい象をどうとらえるか? など。