偏頭痛で目が覚める。いいかげんにしてほしい。


昨日の日記の記述(1950年代前半の日本で、中小鉱山の開発がさかんに行われたのでは? という話題)の続き。
まだよくわからないんだが、この時期、中小鉱山の取り明けや開発がやたらと行われたのが、西日本、とくに大阪を消費地としたエリアではないかという感触はある。
これは根拠なくいっているのではなく、たとえば福井県不二越工業敦賀工場の場合、磁硫鉄鉱の原鉱石を新潟県大倉鉱山から買っていたのだが、国鉄貨物運賃の大幅値上げのため継続的な操業が見込めなくなり、急遽、近畿地方での代替を求めたという記録がある。ちょっと調べてみたら、1950年に国鉄貨物運賃は8割値上げされていた。つまり、鉱石を消費地から近い土地に求める必要が、朝鮮特需に重ねて生じたという推測は成り立つのである。
ただ、同じ事情は東日本にもあるはずなので、まだ特に西日本に顕著だった、ということはできない。現在のところ見ている資料が西日本の記述に偏っている可能性はあるし、その偏りの理由も、まだほかにあるのかもしれない。


このへんの事情は、まだ当時のことを覚えている方が存命なので、機会があれば聞き書きもできるとは思うけれど、なかなかそこまでするのは難しいところだ。趣味も趣味、まったく趣味の領域なので「こんなことをしてていいのか……」といつも思ってしまうわけだし。