自分用メモ:朝鮮戦争

1950年6月25日勃発〜1953年7月27日休戦


鉱物産地探査のため古い鉱山の資料を繰るときと、手塚治虫など戦後のマンガ史について調べるとき、どうしても戦後の世相に触れざるを得なくなる。そのための基本的な情報。だいたいは知っていても、あれ? 休戦はいつだったけか? となることがある。


鉱山の開発に関しては、金属資源の市況との関連はとても直接的なものとしてあるし(たとえば、地質調査所が中小鉱山の取り明け調査を盛んに行ったのはこの時期だ)、手塚でいえば『太平洋Xポイント』『大洪水時代』あたりとの時代的対比はどうなのかと。なお、『Xポイント』は1953年1月号「冒険王」付録、『大洪水』は1955年8月号「冒険王」付録掲載作品である。


大洪水時代 (角川文庫)

大洪水時代 (角川文庫)



鉱物趣味の世界では、古い中小鉱山の旧坑など、なんでも「戦時中に採掘された」として、それ以上のことが調べられないことが多い。一例をあげると、”新鉱物”中宇利石の原産地である愛知県中宇利鉱山などは、「戦時中」にニッケルと銅を目的に採掘された鉱山ということになっている。しかし、資料的に遡れた範囲では、1953年3月から6月のわずか三ヶ月間、試掘されたことが確認できている。もちろん、それ以前に戦時中に鉱徴地として開発がされた、あるいは開発に着手されるところまで行った、という経緯はあるのかもしれない。


これはまだ、きちんと調べるところまでには行っていないんだけれど、少なくとも関東以西の中小鉱山の場合、過去に探鉱がされ、その後放置されていた鉱山が、朝鮮戦争のころに取り明け調査をされ、短期間でも稼行されていた例は多いように思う。朝鮮特需にあたって、工業製品の増産を急がなければならないが、一方、日本には外貨がなく、いきおい国内の資源に頼らなければならないという社会背景があり、そこにヤマっ気のある個人事業者の思惑がからむという構図である。


たしかに、戦時中にも同様に国内の資源に頼らなければならず、中小鉱山の開発が盛んに行われたことも事実だ。だが、かといって調べもせずに「戦時中」としてしまうのもおかしいだろう。実際には朝鮮戦争当時に開発された鉱山跡のほうが実際には多かったのではないかという気はしている。少なくとも、現在「鉱物産地」として認知されている鉱山跡に限ればそうなのではないかと思う。たとえば、輝銅鉱を産した山梨県妙法鉱山なんかはそうですね。


とはいえ、この手のことは本当に資料が少ない。
先に記した中宇利鉱山、妙法鉱山とも、直接あたれた資料は、静岡大学の紀要「地学しずはた」である。しかも、いずれも卒論の抜粋である。


……マンガの話になりませんでしたね。