『網状言論F改』その後

この本、もう一回増刷がかかったら印税でプレステ2を買おうと思って早や二年と少し。発売直後、一週間で増刷があり、「よっしゃ!」と思ったらそれっきり。「はてな」界隈を見ているとぼちぼち感想などあるので、現在でも読まれている模様です。ありがたいことです。


さきごろ、どうにか原稿を入れた初単著(NTT出版より7月刊行予定)は、この本で展開した論をさらにマンガ表現史の方向に発展したものです。こちらは、現状に対して従来のマンガ言説が機能していないという問題意識が前面に出ているため、『網状』とは少々切り口が違ってきていますが、基本的には「マンガとキャラクター」の関係を、「リアリティとは?」という軸に沿って解析するという方向で一致していると思います。


ただ、今回の単著ではいわゆる「オタク論」的なことには触れていません。一足飛びに「オタク」という主体について云々するよりも、まずは「表現されたもの」を見ましょうというのが、今回の姿勢です。そのぶん、こっちの日記では「オタク」の主体について触れがちなんですが、それも微妙に気が済んできていたりします。昨日の日記にも書きましたが、主体の抱える<問題>としての「オタク」とは、じつは「感情の病」に帰着するという結論がすでに自分のなかで出ているからです。「感情」とは、まさに「この私」のものですから、個人が自己の「固有性」をどうとらえるかという問題と密接に関わってきます。


そのことはたとえば、『網状言論F改永山薫さんの文章中に登場する「ボクだけがボクの言うオタクだと思ってくれていいです!」という捨て台詞にもあらわれています。これは、オタクを自認するある男性によるものですが、東浩紀くんとぼくの対談『オタクから遠く離れて・リターンズ』に対し「オタクをバカにしている」と激昂する彼に、永山さんがあえて「ではオタクってなんなの?」と問い詰めた末に出てきたものです。
「彼」は、かつてショタ評論同人誌を主催し、それにはぼくも永山さんも関わったものですが、その後の彼は、長い長い暗闘のただなかにいるようです。


この言葉をぼくなりに解釈すると、「彼」は自分自身の感情を「この私」のものとしてはとらえず、「オタク」という集団のものとして語っていた。しかし、彼の感情が彼固有のものであることは変えられません。そのことを認識せざるを得なくなった瞬間のセリフということがいえるでしょう。




永山薫さんもエロマンガに関する単著を執筆中とのことです。刮目して待たれよ。