いまの60代、50代には失望させられたことが多いので。

goito-mineral2005-04-25

http://rakudaj.seesaa.net/article/3130212.html


まずはリンク先の日記に書かれた「事件」を読んで欲しい。
このエピソードには、ちょっと「出来すぎ」の感があるのだが、ぼくも身近で、60代や50代の男性の態度や行動にずいぶん失望させられることが多い。


もちろん、優れた人、尊敬できる人もいる。しかし、それに増して、浅ましい、品のない人が目につく。とくに戦中に子ども時代を送った世代から団塊直下まではひどいんじゃないだろうか。


平気で姑息な嘘をつくひと、ひとを陥れるような噂を流すひと、目先の利益ばかりを見て長期的な利をなくすひと……そんな例をいくつも見てきた。
ここでいきなり鉱物趣味の例を出して恐縮だけど、白丸鉱山で、採集をしている人々に後ろから「ちょっと、それを少しいただけませんか」と声をかけ、おこぼれを集めて回った「脈なし」氏も50代じゃなかったか? その場に居合わせた学生さんが「私見てたんですけど……浅ましい…」といっていた。まあこの場合はまだ「笑い話」で済むからいい。ここに書けない、いや、書きたくないような話もある。


自分よりも先を歩いてきた世代を尊敬できないってのは、本当に辛いことなんだけどなあ。
自分よりも経験のあるひとに対して敬意を持つのは、むしろ自然な感情なんで、それにいちいち「ちょっと待て」と制動をかけないといけないなんて、本当に嫌なことだ。人間、社会に出て経験をつめば、次第に人格も向上し、物事を客観的に見られるようになり、知恵もついていく……と思ったら大間違いですよといつもいつも告げられているようなものだから。


統計数字上、この世代がもっとも「キレる世代」だという話もある。昭和35年に17歳、つまり今年62歳がもっとも凶悪少年犯罪を犯した世代だというのである。


反社会学講座 第二回「キレやすいのは誰だ」
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html


反社会学講座結局、世代よりも個人の資質のほうがずっと前に出ているということなんだが、それでいて、「いまの若い者は…」という紋切型だけは生きている。リンク先のエピソードの60代男性も、もし「すいません、連れが疲れてしまったので…」と素直に申し出たら、こんな展開にはならなかったんじゃないかと思う。確かにそれはとても勇気のいることだ。しかし、彼が逆にこんな尊大な態度を取ったのは、長幼の序を重んじよ、という規範が「形だけ」残っていたためなんじゃないか。だからこそ彼は、相手が自分たちに自然に敬意を払えるような態度を取ることができなかったわけだ。


年長のひとに敬意を払う、という規範それ自体がいけないといっているのではない。むしろぼくは敬意を払いたいと思う。若い世代全般のことは、責任をもっていうことができないが、全体に素直に、優しくなってきているような気はしている。がつがつと人を押しのけて成功しようという欲求が希薄になっている分、穏やかになってきているという印象がある。


だから、彼らの素直な気持ちを摘み取り、不必要に世代を分断しているのが、形骸化した規範と、それと裏表の「紋切型」だといっている。
かてて加えて、国の政治も、行政も、その紋切型をベースにデザインされている。マスコミの論調もそう。それまずいだろ普通に考えて。