蓮實重彦『表層批評宣言』を

ちょこちょこ読み直しだす。考え考え、少しずつ。
いま出ているのは85年初版の文庫だが、底本は1979年の本だったのか。雑誌初出をみるといちばん古い『言葉の夢と「批評」』は1975年。この手の「批評」や現代文学については、十数年前に一度「自分にはもう必要ないものだから」と捨ててしまったのだった。勿体ないことをしたと思う反面、いまになってようやく「必要なもの」になってきたというのも必然かと思う。
なんというか、20代のオレはただの「オタク」だったと思う。ここでいう「オタク」とは、抽象的な思考をしたいと思いながらも、自分で「考えること」を抑圧していた状態を指す。一般的に用いられているのとは少し違った見方だが、ものごとを皆他人事のようにとらえることで、よく見聞きし憶え、しかしある事象と別の事象を結びつけたり、自らの身体的な実感とリンクさせてはものを考えることはできない、そうした「症状」を、オレは「オタク」の病理と呼んでいる。そしてそれは、感情の素直な表出の抑圧とも並行して起きる。その意味で、「オタク」には「感情の病」という側面がある。
そりゃそんなんじゃ「いわば肉体的なエンターテインメントを目指し」た(あとがき)、『表層批評宣言』を読める筈がない。


表層批評宣言 (ちくま文庫)

表層批評宣言 (ちくま文庫)





というわけで、某スレの495は私本人ですが、いうべきことはいったので、今後はそっちに出ることはないと思います。誰が何をいっても彼が行状を改めることはないでしょうし。