「メンヘル」と「愛国」

いわゆる「保守」論客でこういうひとはいるのかしら?
「ひきこもり」容認、メンタルケアの充実を訴え、そうした「病者」の辛さや抱えているものを受け止め、共感するようなひと。
自分の人生が病気などの理由で理不尽にうまくいかないという誰かの訴えに対し、それをまず認めるような想像力を持っているひと。
そういうのって、まず「リベラル」に限られるような気がしているが、どうなんでしょう。実際のところ。


上のような特性を本当の意味で持ちながら、国家や国体の大切さを説く論客はいるのだろうか。また、このような「病者」への共感と、国を愛し、国家を大切にすることとは、同時に成立できるものなんだろうか。
ここでいう「共感」とは、けっして「同情」ではない。また、「病者」の症状の結果としてあらわれた不具合に対する憐憫や、手をさしのべる行為でもない。ただそのひとの人生を貫く「もどかしさ」や、自己認証のできなさなどへの、身体的なレヴェルでの共感でなけれならない。
そうしたものと、「国家」とを両立させる思想というのは、ありうるのだろうか。
「ある」と思いたいところなのだが、本当にそうなのだろうか。
誰かに具体的な身振りで見せてもらわないと、またそれを実感させてもらわないと、信じることはできない。


それとも、論理的に共存不可能な関係にあるんだろうか。
そこのところが、よくわからない。
「そんなものがあるわけがない!」というのも間違っているように思うし。


でも、「病者」にとってみれば、「国家」というものは自分の生殺与奪を握っている存在だろう。おおげさにいえば、「病者」は、前提として自己の身体を「国家」に所有されている。少なくとも、睡眠障害患者という「病者」であるぼくはそういう認識をしている。
ぼくが「国家」に望むのは、「オレが損しないよう、うまいことやってくれ」ということだけだ。それ以上は望まない。愛せよ、といわれても困るし、そもそも「所有されている」うえに、「おまえは良き国民じゃないんだよ」と常に認識させられていると思っている。だから愛せるわけがない。「国を愛せよ」というメッセージは、ぼくにとってはただ辛いだけのものだ。愛したいひとだけが愛してください、というしかない。かといって学校で愛国教育をすることに、殊更に反対する気もない*1。そもそも、「学校」なんて抑圧的な場所だし、ぼくが「愛国心」がを嫌う心情が、そんなに一般的なものではないことも分っている。

だけど、「国を愛せる」のは、きっと「健康」なひとか、「オレは健康だ!」と自分に言い聞かせていたいひとなんだろうなと思っている。あとあれか。矮小な自分から逃げたいひと。自分のメンタルな問題から目をそらしたいひとってのもいるかもしれない。




「健康」なひとは、本当に羨ましい。
あんたみたいに、快適な人生を送りたかったよ。
でも、そういうひとは、自分みたいに「健康」なのが当たり前だと思っているんだろう。
それを前提に「国家」もデザインするんだろう。
たぶん、そういうことなんじゃないかと思う。
なぜなら、ぼく自身は制度的には「日本国民」だが、心情的にはおありがたい日本国の国民にエントリーする資格なんてないと思っている。こころの奥底で、あなたがたの想定する「よき国民」のお仲間には入れてもらえないと思っている。また、お情けで入れていただこうとも思っていない。


しかし、繰り返すけれど、自分の身体は国家に所有されているという認識が一方である。
だったら、国なんて愛せるわけがない。冗談じゃない。


しかし、自分の精神も身体も、人生も、自分のうちにある「病」のために思うに任せないひとの存在や、その心情を前提にして、「国家」のデザインを考えることってのは可能なのだろうか。「ひきこもりOK! 安心してひきこもれる素晴らしい国家を作ります」という「保守」政治家は登場できるのか、できないのか。


これは断言しておくが、そうした政策が行われても、真性の「ひきこもり」は増えないだろう。「なんちゃって」は多少増えるかもしれないが。
だけど現実には、クライン孝子だったと思うが、「徴兵制があればひきこもり問題は解決する」といったひとがいた。
ぼくは「そりゃ少々考えが甘いんじゃないの?」と思った。
全体を想像するのではなく、個々のひきこもり青年のことを想像すればすぐにわかることだ。
ひきこもっていた若者が強制的にに兵役に送られる。その間はいいだろう。しかし、兵役期間が終わり、自宅に戻った途端、またひきこもりに戻る確率は相当に高いだろう。ぼくは、このクライン孝子の言に「健康な人間の鈍感さ」を感じた。想像力がなさすぎる。「ひきこもり」をナメてるな、ひとの精神の複雑さをナメてるな、と思った。


でも、やっぱり国のデザインなんてしんどい仕事は、このくらい抜けてないとできないものなんだろうか。
仕方のないことなんだろうか。

*1:ただ、国旗掲揚とか国歌斉唱をするのが当然だ、という物言いはぼくには不快。面倒はイヤなのでそういう話題は、話題自体を避けるし、『君が代』を唄わなければいけないときには、口パクで対応する