「嫉妬」という感情について考えてみる。



よく考えてみると、「嫉妬」って不思議なもんで、それをしたことによる「効果」が見えてこない。
「効果」というか、それによって次にどういう感情が出てくるかとか、どういういいことがあるかとかがないのだ。ぶっちゃけた話、「嫉妬してどうなる?」ということだ。もとより愉快な感情じゃないし、するだけ損ダロ、とも思う。
いってみれば、袋小路の感情なのだ。せいぜいが、第三者から見たら不可解な、キレた(程度の差はあるだろうけど)行動くらいしか「嫉妬」の次には出てこない。


これがまだ、恋愛関係で出てくるものなら、まだわかる。やきもちを焼いてみせることは、じゅうぶん相手へのメッセージにもなるし、そもそも「嫉妬」の感情にも意味を見出しやすい。愛情の屈折したあらわれだから、理解もしやすい。


問題は、たとえば「あいつ、上手いことやりやがって」的な「嫉妬」のほうである。
「逆恨み」と言い換えられるような気もするんだけど、ここで話題にしているのは、こっちのほうだ。
別に誰かが「上手いことやって」ても、私自身はたいして困らないということもある。
利害関係を考えたとき、本来であれば自分のほうに来るはずだった利得が、たいして力量もない(と、自分が思っている)誰かのところに行った、と判断される場合「嫉妬」が駆動される。でも、冷静に考えれば、本当に因果関係がはっきりしているケースってのは存外少ない.また、そこまで因果関係がはっきりしていたら、起こる感情は「嫉妬」じゃなくて「怒り」になるだろう。
つまり、「嫉妬」の感情ってのは、ひどく想像的なものだということがわかる。もっといえば、自分のうちで自己完結している。


と、ここまで書いたら、急に飽きてきたのでヤメル。
というか、みんな普通に気づいてることを「いまさら」言葉にしてるような気がしてきた。
トカトントン」という音がきこえてきたことにでもしとこうかw。