本日のマンガ

アバンチュール21』 手塚治虫


昨日触れた『地底国の怪人』の1970〜71年に描かれたセルフリメイク。
手塚の児童誌・学年誌ものにありがちな失敗作となっている。めまぐるしく変わるシーン展開、テンコ盛りの設定、練れていない演出。唐突に出てくる社会派よりのネタは、これは時代のなせるわざだろう。無意味とすら思える死の描写や、次々に登場する奇想的なシチュエーションが悪夢っぽいところなど、これはこれでカルトな手触りのものではある。連載は少年少女新聞。


全集版を使っているが大丈夫だよなぁ。手塚は異本が多く、どの版をテキストに使うかという問題がついて回る。
地底国の怪人』で、「死にゆく身体・傷つく心」を持つ最初のものとされているキャラは名を「耳男(みみお)」という。知能の高いウサギが改造手術でさらに高い知能を得て、人語を解し、「人間のように」二本足で立って歩くのである。
オリジナルも、このリメイクも基本は「亜人間」である「耳男」が人間としての認証を得ると同時に死に至るというものだ。


1948年の『地底国の怪人』では、耳男は街の人々に「ウサギのおばけ」と呼ばれ、新聞報道では「漫画のおばけ」と記される。
他方、1970年の『アバンチュール21』では、耳男は次のような話をしている若者たちの許に迷い込む。

「とにかく いまは なんてったって 劇画さ」

「むかしはさァ よく犬やネコがさァ 服を着てさァ 歩くマンガって あったろ」
「ああ ミッキーマウス なんてそうだな」
「あんなもの 古いよなあ ありっこねえ もんなあ」

そして、作品世界のなかにあっても、耳男がいかにアンリアルな存在であるかがわざわざ強調されるわけだ。若者たちは耳男を見て「おれたち 気が狂った ウアーンアン」「集団発狂だ シンナーの すいすぎだあ」というのである。


この二作からは、マンガにおける「リアリティ」の位相の変化が見てとれる。