日記に書くことがない。仕事ばっかりしてるからなー。仕事してなきゃひっくり返ってるし。なんかないか。あ、がー君 id:gaaa 、鉱物学会の演旨のコピーありがとう。ダッガン石、ね。河津鉱山ってとこはホントにいろんなもんがちょこっとずつ出るとこだよねえ。


あ、忘れてた。これは書いておかなきゃ。
田中ユタカ『愛人 AI-REN』asin:B00007CERYた。ようやく完結。泣けます。必読。

感想をきちんと書こうとすると、かなりリキ入れて書かないといけないのだが……残念ながらいまその余裕なし。
しかしこれはできるだけ売れて欲しい。表現としての達成というより、作家としての凄みをみた感があります。前にも書いたことがあるけれど、田中ユタカというひとは、男女のラブラブなセックス<しか>描かないエロマンガ家で、それを表現するために、コマ割りのレヴェルでの技巧を極限まで研ぎ澄ませた作家だと考えている*1。だから、「SAP!」の「サブカルチャー世界遺産」では「エロマンガ界の筒見京平」とまで私は書いたのだが……その後、出た「サブカルチャー世界遺産」の単行本ではエロマンガの項がなく、その文章は再録されなかった。それは編集上の判断だし、いいのだけれど、編集者だか誰だかが書いたエロマンガコラムが掲載されており、そこでくだらない和姦モノと切って捨てられていた。だからこの本にかかわった松谷創一郎さん id:TRiCKFiSH にはちょっと申し訳ないけれど、この件には何度も触れさせてもらう。分かってないよ!


ようはですね、そうした男女の、愛し愛される二者関係をセックスを軸に、そこの一点だけを描く、しかも繰り返し繰り返し、それだけを描く、ということの凄みってのはあると思うのですよ。そして、それは表現のレヴェルにもあらわれる筈だと。

今回の『愛人 AI-REN』は、エロマンガではなく、終末SFの体裁をとっています。単行本二巻のあとがきをみると、作者が「大きな物語」の終焉後の世界で、いかなる「物語」を紡ぎうるのかについて、ひどく自覚的であることが分かります。終わる世界のなか、君とぼくとの二者関係を丁寧に描いていくものです。そしてもちろん、それだけには留まらない。以前、オンライン書店bk1で、作者インタビューをやったことがあるのですが、ちょっと検索したら、いまは見られないようです。
ひとによっては、そのベタベタの描写に嫌気がさすかもしれないし、通俗的にすぎると退けるかもしれない。そういう意味では読者を選ぶマンガでしょう。しかし、ぼくは作者が、マンガの「絵空事」としての力を信じて、ここまで達したのではないかと思うのです。田中ユタカは、ふだんのエッチマンガも含めて、どこか祈りにも似た気持ちで描いているのかもしれない。それは、描けば描くほど世界への無力さを噛みしめる作業なのかもしれない。そんな気にさせる作品です。

雑誌掲載時の最終回から約2年半、ようやく完結です。


はまぞう」を試してみました。まだあんまり使い方がよくわからない。



 

*1:田中ユタカのコマ割りの技巧については、TINAMIXに書いた『エイリアン9論』のなかで若干、触れています。