私ももう、ずいぶんと歳をとったものです/坂本龍一のサウンドストリート

高校の同級生よりひさしぶりに電話。
話題は「サウンド・ストリート」。
もう二十年前のNHK-FMである。なんでも、この番組をきいていたミュージシャンが、かつての番組をリスペクトして特番をいまやってるんだそうだ。
http://www.nhk.or.jp/summer/rfm/rfm14.html

ぼくにとって「サンスト」といえば、何をおいても断然、火曜日である。
サンストは曜日ごとに日替わりでパーソナリティを置いていた。
月曜が佐野元春で、火曜が坂本龍一、水曜が甲斐よしひろ、木曜が山下達郎で、金曜が渋谷陽一


番組のOPである「フォト・ムジーク」は、楽曲自体の内容は別にして、特別な一曲となっている。とにかく別格で「名曲」なのだ。こればっかりは仕方がない。高校生のぼくにとって、多くのサブカルチャーの知識やなにやらは、毎週あの坂本のぼそぼそした声によって伝えられたのだから。客観的な評価なんかできっこない。ホントに、こればっかりは。


電話では、そういえばこの番組では、イギリスのインディ勢はあまりかかっていなかったねという話になった。ちゃんと確認してないけれど(放送した曲のリストを掲載しているサイトがあった筈)、当時のミュート・レーベルやファクトリーのバンドの曲は、ひょっとしたら一曲もかかってないかもしれない。
パンク以降、アイディア一発の簡素なエレクトロ・ポップがたくさん出てきたのが80年代前半のイギリスの状況だったわけで、後からみるとYMOもその文脈に位置づけられるわけだけれど、坂本龍一の意識は違ったのかもしれないね、などと話していた。
友人は、やはり坂本は楽曲の完成度というか、芸術性を重んじていたのではないか? といっていた。
まぁ芸大出だものね。
それにたしか、当時、矢野顕子は「パンクはきらい」と発言していたように記憶している。
そりゃ「ブルー・マンデイ」はかからないわけだ。あの、ドラムマシンのキック連打のみによるイントロのあっけらかんとした暴力性は、決してYMOからは出てこない発想だ。
それに、あのころのイギリスのポスト・パンク勢の文学性は、坂本にはうざかったのかもしれない。坂本自身は、そうした内省性や文学性をいかにして相対化するか、という方向に向いていたように思うから。
なんでこういう話になったかというと、当時、坂本龍一サウンド・ストリートでやってた、「デモ・テープ特集」(リスナーに自作の音源を募った、投稿形式のコーナー。中高生が多かった)に、槇原敬之は採用されたが、石野卓球は落ちてたらしいよ、というのがきっかけだった。


ぼくの知るかぎり、YMOファミリーとミュートとの接点は、トーマス・ドルビーの "Radio Silence" 一曲だけだと思う。この曲には、ミュート社長のダニエル・ミラーがシンセで、矢野顕子がコーラスで参加している。


それにしても、いつの間にか、あのころの坂本の年齢を追い越してしまった。