今日のことば

「一篇の論文を書くことは、いわば一つの戦いである。長期にわたる蓄積と準備をへて、正々堂々と戦うのを本道とすべきことはいうまでもないが、不意に状況が変り戦闘を余儀なくされるような場合にも、一応の戦いが出来ないようでは武人とはいへぬ」。
なんだったか今でははっきり思い出せないが、何かの本にこんなことを書いていた人があった。しかしこれは何もいまに初まった話ではない。すでに大正の終りに著者が始めて九州帝国大学の門を潜ったとき、工学部長をしておられた河村幹雄先生からも、ほとんどこれと同じようなお諭しを受けた。「科学の研究者は自己の専攻以外の領域についても、一応の分析と批評が出来なくてはならない。常平生からそう云うトレーニングを怠らないで欲しい」と云うのである。



木下亀城『鉱物資源辞典』(1965)序より


いま書いてるのは「論文」という形式のものではないけど、事実上「論文」みたいな側面はあるからな。昨日までで、とりあえず『鋼の錬金術師』論にあたるパートはあがる。『どろろ』との対比をしつつ、むしろその差異に着目している。当然のことながら、『どろろ』と『ハガレン』の間には40年近いマンガ表現史が横たわっているのである。また、『どろろ』については、夏目房之介大塚英志荒俣宏の先行研究・批評があるのでやりやすい。


今朝はまず、宮本さんの論文『昭和50年代のマンガ批評、その仕事と場所』(立命館言語文化研究 第13巻1号 2001.5)を再読する。これを読むのは何度目かなのだが、検討するポイントがまた変わってきているので。