やっぱり鉱物日記にならないという……。

まーでも、日本式双晶はいいよね。あらためて見てそう思うけど。


いそがしすぎです。


さて、昨日の話題なんですが、id:AYSさんの日記が修正されていたので、あらためて引用しなおしておきます。id:AYSさんにはなんだか申し訳ないですが。
id:AYS:20040327#p4

本とコンピュータ』最新号の「特集 マンガはどこにある? マンガを語る地図を作ろう 夏目房之介さんに聞く」http://www.honco.jp/magazine/06_manga/index.htmlが話題に出て、Bastideさんがどういう内容なのかと聞いてきたのだが、私はまだそのインタビューを読んでいなかった。そこで、マンガ研究者の秋田さんが概要を日本語と英語で説明し、私も補足説明を試みる(私の方がBastideさんの近くに座っていたので)。

秋田さんの説明だと、どうやらマンガ評論家・研究者の世代の断絶についての話だったようだ。新しい世代のマンガ研究者・批評家は、それまでの世代の研究成果をふまえていない現状がある、と*3。

私は未読なうえ、マンガ言説史に(も)疎く、しかも英語力薄弱なのでさっぱり英語で説明できず、要領を得ず。

(繰り返しますが、私は記事を読んでいません。「世代間の断絶がテーマ」というのは、あくまで秋田さんの説明をもとにした私の解釈なので、http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20040331#p1さんがおっしゃるように、実は誤読なのかも)


*3:私なんかだと、たとえば夏目さんが上の世代でid:goito-mineralさんが新しい世代ということなのかと最初思ってしまったのだけど、そうじゃなくてこの場合は夏目さんが新しい世代で、石子順造とかが古い世代に当たるという。ただし、夏目さんが石子の業績を無視している、とかいう個人レベルの話ではないようなので誤解なきよう

文中の「秋田さん」とは、マンガ学会理事の秋田孝宏さんのことです。


さらに「過去になされたマンガ研究・批評を参照しない」傾向というのは、主に70年代後半以降に活躍したマンガ評論家に顕著な傾向です。具体的には呉智英村上知彦米沢嘉博、ある時期までの大塚英志、といった名前があがるでしょう。呉さんは確かに過去の言説を引用したり参照したりしますが、批判し叩き潰す、という文脈以外ではあまりそれをしません。たとえば呉さんの言説には、濃厚に石子順造の影響がありますが、彼はそれについて殆ど言及しません。

また個人的なマンガ語りまで範囲を広げても、過去の言説への参照のされなさはあります。個人的な語りに過去の言説への参照は必要ない、との見方もあると思いますが、それ以前にそもそも過去の言説への関心が払われないという傾向があります。
卑近なところで、『サブカルチャー文化世界遺産』でのエロマンガについてのコラムを例としてあげておきます。これはSPA! の編集者の筆で、その編集者氏にはエロマンガについて語りたいという欲求があり、このコラムを書いたのだそうです。しかし、先行する永山薫さんや、ぼくを含めたひとの仕事を参照した形跡もなくSPA! 誌上での「文化世界遺産」記事では、永山さん、桝野浩一さん、宇田川岳夫さん、ぼくの四人がエロマンガについてレビューを書いている。単行本にまとめられた「文化遺産」では、紙幅の関係もあってエロマンガの項目自体が削除されており、かわりにそのコラムが掲載されていた)田中ユタカを「くだらない和姦モノ」と切って捨てるような、ぼくから見れば粗雑な主題論を展開しています。


この事例は、先に記名原稿を発注しておきながら、という意味で永山さんやぼくらに対して無礼なのですが、しかしこうしたことが起こってしまうのも「マンガ批評=『私』が語ること」という図式が成立していることに起因するとぼくは考えています。そこでは、個々の読者が「私」の語りをすることがそもそも尊重され、優先される。その意味では、『サブカルチャー文化遺産』でエロマンガのコラムを書いた編集氏をことさらに責めることはできません。彼にそれをさせた「場」の力があり、それこそが我々の「マンガをめぐる」言説空間なのだから。
それは、遡れば村上知彦の「マンガを語ることは、『ぼく』について語ることに他ならない」という、70年代的な「ぼくら語り」のテーゼにも行き当たるのでしょうが*1、ひじょうに強固なものとして成立してしまっています。個々の論者が「私」を語る以上、必然的に過去の言説は参照される必要すらなく(たとえばそれは、なんで他人の考えなんか読む必要がある? という気分としてあらわれる)、結果として個々の言説は孤立し、皆がなんとなく納得するような「読み/語り」の基準もない(すくなくとも共有されていない)という状況が再生産され続ける結果となっています。

まあ、そうした状況もいい加減、変わってきていますけどね。ウェブでは相互の参照は盛んに行われているし、すくなくとも「言説史」という見方が出てきているわけですから。


さて。話を戻します。
まずは「本とコンピュータ」の該当の記事を読んで欲しいのですが(なんか、「本コ」がマンガやマンガ評論に関心のあるひとのところにちゃんと届いているのか不安になってきますw)、「世代間の断絶」という解釈を「誤読」として退けてしまうものではありません。たしかにそう読まれてしまうのには、不本意なところがあるんだけれど、しかし、今回の特集での我々の言説を離れてみても、そのように世代論的な枠組みに回収されがちであるという事実は厳然として存在するわけで、それはきちんと見据えないといけないからです。
また、世代論的な枠組みが強力な求心力を持っている(すくなくともそう見える)、言い方を変えればたいへんに魅力的であるのは、日本のサブカルチャー一般の話だとは思うのですが、そのなかで「マンガ言説史」という限定をかけたとして、その固有の問題はどこにあるのか? という議論に接続できると思うのです。もちろん、そこでのぼくの目的は、世代論的な枠組みの相対化にあります。その姿勢は、『網状言論F改』のときから一貫しています。


 

*1:村上知彦の言説をひとつ、引用しておこう。
まんがの可能性とは、まんがを使いこなすぼくら自身の可能性以外のものではありえない。ぼくらは何者なのか、何をしようとしているのかを、ぼくらはまんがを読むことによって探り、まんがを読むことによって理解しようとしているのにちがいない。語られるべき「まんが」とは、おそらくぼくら自身のことなのだ。まんがについて語るということは、だから、まんがというメディアの機能を最大限に利用して、世界と繋がろうとする、意志である。まんがについて語るとき、ぼくは断固として「ぼくら」という主語を用いる。ぼくが語っているのは、まんがを通じて繋がりうる世界としての「ぼくら」についてであって、決してぼく個人の感傷や感想であってはならないと自身に言い聞かせている。
「すみやかに、そしてゆるやかに――まんがの可能性へのぼくらの歩み」別冊宝島13 マンガ論争! 1979


ここでは、個である「ぼく」が捨象され、「ぼくら」へと繰り込まれていくようにみえるが、その実それは「ぼく」と「ぼくら」との距離を無化しようとする営為に他ならない。以上のような解釈により、70年代の村上の言説を「ぼく」についての語りであるとしている。