「逆恨み」と「正論」

いわゆる正論を、「逆恨み」にまぶして提示すると、一定数のファンがつく。その「正論」も、たとえば「権力は腐敗する」などのマイナスの方向のものであればなおいい。スジを通す主張は歓迎される。しかし、「愛」や「幸福」をストレートに語ってはいけない。そして、語り口は他人への攻撃やツッコミを基調とする。ものは基本的には褒めないけれど、たまに感涙を流して激賞したりする。
するとですね、他人の揚げ足とりが大好きなひととか、抽象的な思考は不得手だけど情報摂取能力だけは長けているひととか、ひねくれ者とかが近づいてきて、勝手にコミュニティ(みたいなもの)をこさえてくれる。ときには「男らしい」などといって評価されるかもしれない。そして、場合によってはそれが商売になる。
具体的にどこの誰を指していっているのかはいいません。いう必要がないからです。ちなみに複数です。いまざっと数えてみたら思いつくかぎりで八人。案外多いな。みなさんで適当に想像してみてください。
また、これは「批判」でも「攻撃」でもありません。ただ、あーそういうのって商売になるんだなあ、という感嘆です。ぼくにはできないし、したくもないものだけどなあ、という。こういうことについてわざわざ言及するのは、きっと「逆恨み」の本質を知りたいという欲求ゆえだろうと思っています。