”The Wall of KYOTO” by Cabaret Voltaire

id:hesoによると、京都での新年会では、何人もの方から「伊藤君は来てないの? 残念だなー」といわれたのだそうだ。そういう話をきくと、無理してでも行けばよかったかなという気にもなる……のだが、そういう余裕はありません。なんというか、香港とかシンガポールとかへ行くのと同じくらいの覚悟がいるのですよ。この京都行は。
もっともこれは、気分的な比喩かもしれない。京都へはマンガ学会なども含め、ここ数年で何回か行っているのだけれど、まず仕事がらみだ。その点、去年の新年会行は、街をそぞろ歩いたり、東京ではあまり馴染みのない美味しい食べ物を食べたり、というあたりが香港やソウルを旅行したときの気分を思い起こさせた。そこにはやはり、京都という街の特性もあるとは思う。たとえば富山とか郡山とかだと、こうはいかないだろう。住んでいるひとには失礼な言い方かもしれないけれど、むしろ個性を剥奪された郊外/地方都市性が前面に出るような気がする。もちろん、ぼくの地元である名古屋もその例に漏れない。実家の近所なんか、見事なまでに宮台真司的郊外の風景を見せていると思う。



昨日、注文した荷物がもう届く。早!


国会図書館でちょこっと調べもの。以前に比べると資料が出てくるのが速くなったものだ。行きの地下鉄のなかで微妙に過眠が来る。あやうく乗り換えを間違えるところだった。


メモ。21世紀の地学教育を考える。
 http://geolo.sci.osaka-cu.ac.jp/pre98/pre98.html
時間ができたら読もう。