鉱物趣味におけるオタのイメージ

そして、鉱物マニア(この言い方も実はあんま好きではないのです。イギリス英語のmineralistのほうがピッタリ来る感じなのですが、外来語としても一般的じゃないし、どうもイギリスではちょっと斜に構えたニュアンスで使われているようだし。かといってアメリカ英語のRockhoundっていうのもちょっと……。まじ具体的にわんこのイメージを背負ってるし)の世界で、マニア/オタクの分割をどこで捉えるか、ということを考えてみると、どうも、長年この趣味をやってるけど、いつまで経っても初心者の域を出ず、他人の成果を消費してるだけのひと、というイメージとなります。あくまで私見ですが。
「他人の成果を消費」ってのはいまひとつ分かりにくいと思います。ようは、鉱物には産地があるわけです。しかし、一度、採取されてしまった鉱物はそれで終わりです。なので、既知の産地でも見方を変えたり、少し離れた場所を探してみるとか、また、さまざまな資料を検索し、新しい産地を開拓するとか、そういった営みが必要になってくるわけです。そうした探索派(ここのコメント欄にいつも書き込んでもらっている方々もそうですね)の「成果」を聞きつけ、情報を得ると速攻でそこに飛んでいき、既知の情報の範囲内で鉱物を探し、基本的に新知見を他にもたらすことのない行動、それを「他人の成果を消費」といっています。この手のひとの特徴には、

  • 他人のうわさ話には熱心
  • すごく情報を蓄積しているようで、実は不勉強
  • 地球科学的な知、化学的な知などの体系に無関心
  • 鉱物種の定義など、抽象的な概念が理解できていない場合がある
  • 自分の採集スキルが低く、成果があがらないことを、誰か他人が産地を荒らしているためだ、と責任転嫁をする
  • なぜか鉱物標本の売買に対しては批判的

といったことがあるのではないかと思います。というより、鉱物趣味の世界では、こういうヤツがオタだ! と考えているのですね。ぼくが詳しく知っているのは鉱物だけですが、天然のものを対象にした博物学的な趣味の世界では、おそらくマニア(コレクター)/オタクの分割は、このようになされるのではないかと思います。個々の対象物を相互に結びつけることで、自分なりのコレクションを作り上げていく営みに結び付くことのない、個々の対象物に対する欲望のみのドライブ、といった具合に定式化できるかもしれません。結果、ものはどんどん蓄積されていきますが、しかし、知は蓄積されていかない。だから彼/彼女は飽きることなく、今年と同じ行動を来年も続けられる、というモデルです。やや批判的なイメージです。
あと、「標本を整理しない」というのも付け加えてもよいのですが、それを入れてしまうと、ぼく自身が見事なオタになってしまいます。でも、ゆくゆくは整理する意志はあるんですよ(汗。