ぼくはいちおう高校教員一種免許を持っています。そこらの教師よりはよっぽど授業も上手いよ〜。

それにしても、大学を卒業して以降、最新の科学的知見を得るのは、なかなか難しいものです。卒業後、すでに十数年が経っていますが、その間、どうも硼素の地球化学的な挙動はかなり分かってきたみたいだけど実際はどうなのか、とか。花こう岩のタイピングについての議論はその後どうなったのか、とか、いろいろ謎は疑問を呼んでいます。ネットで得られる情報だと、どうしても断片的になりがちですしね(論文のタイトルだけ、というのも多いし)。
 などとつらつら書いていくと、なんだか随分、よく勉強していた学生みたいですが、実際はまったくそんなことはなく(いまから考えれば持病の影響もあったのですが)、ろくすっぽ授業にも出ないボンクラ学生だったのでした。
それでも、不勉強な高校の地学教師のひとよりは、よほど地球科学的な知には通じているという自負はあります。趣味を通じて興味も持続してるしね。もちろん、勉強熱心な先生もいるのでしょうが、90年代以降になっても、とうに破棄された「地向斜」という枠組みで地域地質の発達史を書く先生とかを見ると、あなたは一体、この20年間なにをしてきたのですか? と問いつめてやりたくなります。大学などの研究者と話をしても、「高校の先生が一番、不勉強」というのは一致した意見のようです。これは地学に限った話ではないでしょう。
一般に、中学・高校教師という職種のひとは、教える教科と関連する(はずの)分野についてもっとも不勉強な人種であるのではないか。社会科の先生は、社会学のことを知らず、国語の先生は文芸の潮流を知らない。たとえば「ルーマンの社会理論」という語がなにを指しているしているかも知らないひとが大半なのではないでしょうか。こうした状況については、人文系のほうがより深刻なような気もします。彼らは、いちおう「知」を所有していて、それを持たないひとに伝える立場に立っていることは変わっていないのだから。
そもそも授業ってのはライヴだし一種の"興行"なんだから、教えることによる知的な満足も含めて聴衆(この場合は学生ね)をエンターテインできなくてどうすんだよ、と思うわけですよ。だったら、気の利いた学生よりものしらずじゃまずいでしょう(少なくとも進学校では)。
 学生の知的な関心を引き出せるだけのポテンシャルの欠落を見ず、ただ「学力低下」を嘆いたところで虚しいだけだと思います。