大波小波

妙な時間に目が覚めてしまいました。このところ、薬が効きすぎるのか、眠りが浅いことが多いです。
なんかそれですぐに仕事にかかるのも億劫なので、仕方なく(?)、「新潮」二月号の高橋源一郎田中和生東浩紀の鼎談など読みだしたり。東京新聞1月16日夕刊「大波小波」が、この鼎談を素材に東浩紀を揶揄してるんですが、その話のマクラにテヅカイズが使われていたので。
この「大波小波」の書き手は批判のつもりなんでしょうが、単に読めてないだけという気がします。ハンドル、おっと署名は「きのうのジョー」……。


「大波小波」といえば、1月22日づけで昨今のマンガ評論について批判が載りました。
「漫画文化の担い手」というタイトルで、「ガロ」や「アックス」の歴史的検討を促すものです。
少し引用します。

漫画がつまらなくなったと言われて久しい。にもかかわらず、皮肉なことに少子化に悩む私立大学は次々と漫画学の講座を新設し、漫画研究家を養成している。だが彼らの大方は今日商品として流通させる漫画とアニメへの偏愛を告白するか、時代遅れの記号学の復習に耽るだけで、『アックス』に集う、清水おさむ西岡兄妹といった最新の作家に眼差しを向けることをしない。マンガ学会というのものがあると聞いたが、一度『ガロ』と『アックス』の歴史的検討を行ってみるべきではないか。



いまだに「つまらなくなった言説」を無批判に前提としていることは措くとしても、いま私立大学の新設された「漫画学の講座」で「養成」されている「漫画研究家」が誰のことなのかさっぱり分からず(学習院大学はこの四月から開始だし、京都精華大が「漫画研究家」を養成したという話も聞きません)、どこに向かった批判なのかも判然としない、かなり酷い文章です。「時代遅れの記号学の復習に耽る」てのもよく分かりません。ただ、竹内オサムさんの『マンガ表現学入門』には、パースの記号学についての記述が若干ありますので、これはもしかしたら竹内さん門下の方に対する論難なのかもしれません。


あるいは、「彼ら」というのが「漫画研究家」一般を指すと解釈して(というのも苦しいですが)、ひとつ思ったのは、オレ去年、自分が書ける媒体全部を使って島田虎之介を絶賛してたじゃん、福満しげゆきについても書いたぞ、ということです。彼らこそ、いまの「アックス」の作家じゃないんですかね。西岡兄妹もユニークな作家ですが、すでにデビュー20年近いベテランでしょう。清水おさむにしても、「アックス」で連載中なのは1970年代の自伝『JUKU 第二部』だったはず。「最新の作家」と形容するのが適当かどうか、かなり首をひねります。ぼくも毎号読んでいるわけではありませんが、この書き手こそ「アックス」を読んでいないのでは? いや、目を通してはいても、<いま、ここ>の作家の仕事は読めてないのでは? と思ってしまいます。


ちなみに、この文章の署名は「ヨネやん」。米沢嘉博さんの愛称です。亡くなられた方の愛称をこういうところに使う神経もよく分かりません。米沢さんがお持ちだった、マンガ読者共同体のなかでの求心力を憑依させようとでもしたのでしょうか。思わせぶりで、ひどく下品な振る舞いだと思います。


それはそれとして、先日、東京新聞の読書欄の取材を受けました。拙著『マンガは変わる』の紹介記事を書いていただいています。一昨日の日曜日に掲載されているはずですが、まだ自分では見ていません。