秋刀魚の味

昨日あたりからぼちぼち仕事をはじめているが、まだ正月気分が取れないのか、なんだかのんびりしている。
今朝は押入れの奥から出てきたビデオで、小津安二郎秋刀魚の味』を見る。
まだ昭和のころにテレビ放映を録画したやつだ。深夜帯のCMが入っているのもご愛嬌。


秋刀魚の味 [DVD]

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いまアマゾンへのリンクを貼るんで、一昨年TVドラマとしてリメイクされたことを知る。あったあったそういえば、と思ったんだが、世相がオリジナル(昭和37年)と大きく違うので、リメイクはたいへんだったんじゃないだろうか。上手くいったんだろうか。


それにしても、構図がいちいち美しい。ほんのちょっとした間が泣ける。お嫁に行ってしまう娘の視点が描かれていないのも、切なさを増している。やはりこれは「無力な父」の物語なのだな、と思った。最近の自分の関心と結びつけていえば、あずまきよひこよつばと!』とも通じることなんだけれど。


しかし、この、老境にさしかかる父の気持ちや、家族の心情に感じ入るには、三十歳を超えないとダメだったのかなと思った。最初に見た学生のころ(たしかまだ十代だった)は、とにかくセリフまわしのちょっとした面白さ、たとえば「魚へんにユタカと書いて、はも、ですな」とか「ゴルフなんかよしちゃいなさいよ、よしちゃえ、よしちゃえ」とか、「ちっちぇえんだ、太ってんだ、かっわいいんだ」とかを面白がるばかりだったんだが。


もちろん若くてもこうした心情をしみじみと感じることのできるひとはいると思うけれど、ぼくの場合はそうではなかった。ある程度さまざまな経験をして、それでようやく感情が出てきた、とかそんな感じなのだ。
若いころのほうが感性が豊かで、歳をとるにつれそれが鈍磨していくというのは、必ずしも本当ではないと思う。ある部分の鋭敏さはなくなるだろうが、人の感情の機微を細かく受け取る感受性は増していくように思う。それはぼく個人がたまたまそうだった、というだけのことかもしれないが、若いころが一番感受性が豊かであるという常識は、やはりウソということになる。あるいは、そのように漠然と考えたいという欲望が、どこかにあるということなんじゃないだろうか。


それにしてもオレ、本当に小津安二郎好きだな。
なんてことないショットの背景に置かれた酒ビンまでもが染みる。たまらんですよ。