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テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ



さて、小西康陽プロデュースの "ATOM is born" the remixies を聴いています。
小西のほか、PACIFIC231、永田一直、コモエスタ八重樫などが参加した、『鉄腕アトム』の主題歌リミックス集です。小西康陽ならではの、華やかで明るいなかに、濃厚に死の影が差してくるような、どこか寂寥感のあるテイストに貫かれています。「らららかーがくーのこー」と歌われても、つい涙が浮かんでくるような。


そしてアトムは生まれた“ATOM is born”the remixies(小西康陽プロデュース)(CCCD)

そしてアトムは生まれた“ATOM is born”the remixies(小西康陽プロデュース)(CCCD)



2003年、アトムの生年を記念して作られた企画盤のひとつですね。「アトム」の図版や、途中に差し挟まれるTVアニメの音声の選び方にも、小西のセンスが光っています。たとえば、ジャケなどに使われている、アトムを起動するシーンは、『アトム復活』から取られています。これは、アトムが単純な正義の味方ではなく、人間と対峙し、ロボットの解放のために戦い、卑劣な人間によって破壊されたという、『青騎士』に続くエピソードです。『青騎士』の制作時期は1965年〜1966年と「アトム」連載の晩期に入ってからで、手塚自身、反体制的な若者の気運が高まった世相を反映したものと語っています。しかし、読後感はやはり暗く、人気もなかったといわれています。


もっとも、現在の目からは「アトム」による「アトム」の自己批評という読み方もできるわけで、作家の意図を離れて巨大なポップ・アイコンとなってしまった「アトム」を、どうにかして葬り去ろうという手塚の無意識的な欲望もそこにはあったのかもしれません。自身は朝日ソノラマ版単行本の自作解題で「編集者の意図により、単純な正義の味方ではなくした」と語り、いや、やはりアトムは正義の味方なのだ、と葛藤を語っていますが、これをそのまま額面どおりに受け取り、すべてを編集者の責に帰すのは、やはり違うでしょう。
<よりにもよって>そういうものから図版をセレクトする(『アトム復活』の一部を使った「豆本」も封入されている)あたり、「やるなあ、小西」と思うわけです。


というわけで、「アトム・イズ・ボーン」で「テヅカ・イズ・デッド」。そういえば、この本の企画は、まさに「アトムが生まれた年」にはじまったのでした。