竹内オサム『マンガ表現学入門』

レポートってのは、先々週、ヒッチコックの『鳥』を見せたので、その感想です。
「カット」とか「モンタージュ」「同一化技法」「切り返し」などの映画用語を講義で使っていたので、その説明のため、実際に見てもらったわけです。


「同一化技法」といえば、竹内オサムの新刊が出ましたね。


マンガ表現学入門

マンガ表現学入門



たいへん評価に困る本なんですが、ともあれ手塚治虫新宝島』をめぐる評価についての議論には、これでいちおうの決着がついた感があります。宮本大人が『マンガと乗り物』で提示した「同一化技法」に近いものは戦前からあった、という異議を受けての「再検討」がされているのですが、結局のところ、戦前からあった「映画的」手法の導入過程にあって、手塚が一定の「飛躍」を見せているという論旨に落ち着いています。
つまりそれは、宮本論文の着地点とさほど変わらない。その意味では、今回の竹内オサムの仕事は、一定の「達成」を見ているとしてよいと思います。実際、この本では、一方で戦前から映画的な「コマわり意識」があったとしながら、戦後の手塚はその「視点意識」において決定的に戦後的だとしています。つまり、これまで竹内オサムがとってきた、「同一化技法」の導入の有無をもって戦前/戦後を分けるというモデルは捨てられています。実際に、1941年の大城のぼる『汽車旅行』を例にとり、それからの手塚への影響をも示唆しているわけですから(ちなみに、この作品について「同一化技法」の文脈で竹内オサムが言及するのは、おそらくこれがはじめてです)。


しかし、竹内オサムはそれでも『新宝島』の「革新性」を重ねていおうとします。その文脈での宮本・夏目批判にはさすがに無理があるといえるでしょう。
だいいち、こんな調子なのですから。

手塚マンガの革新性はいったいどこにあるのか。
ひとつはいま見たように、C<モンタージュ>型において古典的な同一化技法をのりこえている点である。「新宝島」の例を見ればわかるが、人と人、人と物との出会いの関係式としてのモンタージュ型が際立つ。(注11)
(98ページ)


11 この点について異議が出された。本文に先立って、何度か同一化について書いてきたという経緯は冒頭に記したとおりである。そのなかのひとつ『手塚治虫論』を引き合いにだし、宮本大人は「一人称視点」モンタージュ型と同一の効果のある表現が戦前のマンガにもあったと指摘した。
(中略)
読者に寄り添えば「同じ効果」ではなく「類似した効果」を生み出す表現だが、あきらかに「一人称視点」ではない。それにここでぼくが問題としているのは、読者への「効果」だけではなく、手塚治虫というマンガ家の視点意識のありようの方だ。宮本のような例示の仕方は、意図的にまた継続的に<同一化技法・モンタージュ型>をマンガに持ち込んだ手塚の営為に、被いをかけてしまうのではないかという危惧を、ぼくなどは強く持つ。
 さらに夏目房之介もこの点に言い及ぶ。夏目は「『マンガの社会学』に異議あり」(二〇〇二)ろいう文章中、ヨコタ村上孝之の「マンガとマンガ批評」なる文章を批判する際、「視点の同一化手法は、すでに竹内オサム手塚治虫論』が『新宝島』(47年)で手塚が開発したと論じているものだ。さらに同じ手法がじつは戦前からあったことを宮本大人「マンガと乗り物」(『誕生! 「手塚治虫」』所収)が指摘してもいるのだ。」(「『マンガの社会学』に異議あり」 『マンガの居場所』所収 二〇〇三 NTT出版 二四二ページ)と書いている。これはあまりにも短絡的な要約というほかはない。右に述べたように「同じ手法がじつは戦前からあった」わけではないし、あるいは「あった」という反証資料が今後出たとしても、手塚の意図的かつ継続的な営為をまるごと否定することはできないはずだ。
(106-107ページ・強調引用者)



念のため注記しておくと、宮本論文は「手塚の営為」をまるごと「否定」してはいません。常識的に読めば、そういう論旨には受け取れないはずです。
ようは、手塚にも自身が影響を受けた「それ以前」があるという、当たり前のことをいっているにすぎない。ただ、宮本論文がこれだけのインパクトを持ったのは、それだけ「手塚治虫」の『新宝島』を「起源」として見出す視線、いいかえれば「それ以前」をまったくないかのように扱う視線があまりに強固であったことを示しています。


竹内オサムが、実のところすでに宮本論文の論旨とさほど対立点がないところにまで来ていながら、自ら戦前/戦後の分割を示す徴候として選んだ「同一化技法」の導入の有無を捨て、さらに一般的に映画理論で使われる意味からも離れ、あたかも『新宝島』の革新性をいうためだけに開発されたかのような論理に依拠するとことにまで後退してまで、宮本・夏目を強く批判しているのは、これはなぜなのでしょうか?
単に、これまで『新宝島』を「起源」として見出すという「常識」がかくも強固であったことを示すだけなのでしょうか?


本書は、一見すると緻密に「マンガ表現論」を展開しているように見えますが、しかし、その実、上記のような無理があり、他の「表現論」についても、目のつけどころには同意する部分もありますが、その「論」が適用できる範囲は、相当に限定されるといわざるを得ない。それに、たとえば「手塚の死」を「ひとつのマンガの記号体系の死」であるとし、さらにその根拠を全く示さないなど、明らかに不適当な論も散見されます。


いずれにせよ、この本は、一定の「達成」を示すと同時に、旧来的なマンガ論の「限界」をも同時に示すものではないかと考えられます。なぜ、この程度の「論」に留まってしまうのか? この問いには性急な解答は得られないでしょうが、しかし、ことが竹内オサムという個人の資質や、研究者としての態度にのみ帰せられるものではないのは、確かなことだと思います。


新宝島』を起源とみなす視線と、マンガの歴史を80年代末で終わらせ、それ以降を見ようとしない態度とは、対で現れるようです。ブログ界隈では評判の悪い二上洋一『少女まんがの系譜』もその例としてよいでしょう。