『アストロ球団』を見逃した!

たけくまメモ
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/04/post_59ab.html


ぎゃ! テレビ朝日スーパーベースボール」で、プロダクションI.G製作の『アストロ球団』アニメが放送されたのです。せっかく事前に小耳に挟んでいたのに、仕事が詰まっていて見逃してしまった……(泣。


アストロ球団』とは、かつて「コミック・ゴン!」(ミリオン出版)という雑誌で作者の中島徳博・遠崎史郎両氏のインタビューをさせていただいたり、その後『アストロ球団メモリアル』で「アストロ小事典」を書いたりというご縁があるんですが……あれもう6年前か! ということは太田出版から復刻になってすでに6年。月日の経つのは早いものです。


しかし、なんと今回は「アストロ」実写化企画も進行している!
すでにオフィシャルサイトまである……。
http://www.tv-asahi.co.jp/astro/


ぼくは『アストロ球団』は、野球マンガであって野球マンガではないというか、ある種の「寓話」としてたいへん高い達成をみた作品だと思っています。奇跡的な作品といってもいいでしょう。
とかく「打たれたピッチャーが一気に老化」とか「人間ナイアガラ」といったトゥ・マッチでエクストリームな描写ばかりが強調されがちですが、しかし、それだけでは『アストロ』の魅力は語りつくせません。なんつっても「一試合完全燃焼」ですよ。


いま自分で書いた「コミック・ゴン!」の文章を読み返してみました。
一部を再掲。

伊集院兄弟の確執を除いて、『アストロ球団』には、驚くほど地縁/血縁的な要素が描かれていない。プロフィールなどがほとんど語られていないのだ。作者ふたりが意図したところはともかく、「アストロ球児」は、ただ一個の「人間」として、どこの誰でもない者として読者の前に現れている。肩書きや、来歴や、帰属をすべて取り去った状態。そのうえで、彼らには「野球」という目的が無根拠に与えられている(超越的な存在によって、はじめから与えられているのならば、それは無根拠に等しい)。そう、「自分が自分として生まれてきたこと」に根拠がないように、アストロ超人にとっての「野球」にも根拠はない。だが、彼らはその中でまさに極限まで己を追い詰め、輝こうとする。これが人生を全うすることの寓意でなくて何であろうか?



……こんなこと書いてたのか。ぼくにしては温度の高い文章ですが、それも『アストロ』のちからゆえということでしょう。


アストロ球団 (第1巻)

アストロ球団 (第1巻)



アストロ球団メモリアル

アストロ球団メモリアル