宮沢賢治と鉱物/『永訣の朝』と自然蒼鉛

宮沢賢治が地学者であり、鉱物採集もしていたことは、比較的によく知られている。
けれど、地学的な事象や鉱物の観察を詩的に昇華した表現の具体的な鑑賞となると、意外になされていないと思う。
上に記した『永訣の朝』の「蒼鉛いろ」もそうで、ふつうは字面を見て青ぐろい、あるいは蒼白な雲が思い浮かべられるだろう。しかし、鉱物としての「自然蒼鉛」を見てしまうと、ここで描かれたイメージはまったく違ったものとなる。
あの、赤みを帯びた銀色、肉銀色とでもいいたくなるような独特の色。それを「暗い雲」の形容とした途端、夜明け直前の日の光をかすかに投影した、なんともいえない不気味な色彩が立ち上がってくる。そして、まさに妹が冥府へと連れて行かれんとする場面に接した心境と響きあい、胸の底から沸きあがってくるような、重く、大きく、叫びにならない慟哭を想像させるように思う。


いくつか資料を探したことがあるのだが、宮沢賢治が「自然蒼鉛」の標本を見ていた、あるいは手にしていたという確実な証拠にまでは行き当たっていない。しかし、彼が農学校で鉱物の組標本を見ていた可能性はたいへんに高いし、この時代、日本ではすでに「自然蒼鉛」の産出は知られていた。だからぼくは、賢治が足尾か、あるいは兵庫の生野あたりの標本を見たと信じている。


賢治と地学・鉱物学については、築地書館から出ている『宮沢賢治 農民の地学者』に詳しい。


宮沢賢治 農民の地学者

宮沢賢治 農民の地学者