「ユリイカ」四月号 特集「ブログ作法」をいまさら発見する。

青土社の担当氏に「なんで送ってくれない?」と電話をすると、「え? 自宅のほうに送りましたよ」という返事。
あわてて郵便受けを探ると、ありました。とっくに送本されていたのでした。郵便受けの構造上、一旦底に落ちてしまうとぱっと見、郵便物が来ていないように見えてしまう。もっとも、こっちの生活上の問題で見落としがちだという事情もあるのだけれど。
いずれにせよ「ユリイカ」担当氏に落ち度はないわけで、申し訳なかったです。


ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記



「なぜかトカトントニズムはずっと触れずにいるなあと思ってました」と担当氏にいわれる始末。面目ありません。
そもそもこの特集、一度オファーをもらっていたのだが、「いや……オレそんなに真面目にブログやってないし……いわんや『ブログについて』なんか、真剣に考えていないし……」という理由で辞退していたのだった。


それでも、なんか切り口があるでしょ的な話となり、かつまた企画の初期だったこともあって、「人文系学生や院生を主な対象にブログについて書く」という話題でひとしきり話をした。


ウチのこの日記を継続してみてくれている方には承知のことと思うけれど、ここを貫く大きなコンセプトは「趣味」である。ほぼ、これにつきる。マンガ評論をはじめとする論考の類にしても、鉱物にしてもすでに純粋に「趣味」とはいえなくなっているけれど、根は常にぼくという個人の「趣味嗜好」に行き着く。もっといえば、それ以上の根拠を持っていない。別の言い方をすれば、ぼくはぼくの「趣味」に首尾一貫することを自分に課しているともいえる。もっとも、そんなに鹿爪らしくする必要もなく、単にここに書かれていることはすべて「やりたくてやってる」ことであって、「やらないといけない」からやっていることは、ほとんどない。またそれがあったとしても、その根拠はやはり「趣味」を一貫するためという理由に行き着いている。


それだけ「趣味」というものの存在を大きく捉えているということだが、まあ、人と趣味との関わりについて論じると、これはこれで大変なことになってしまうので、一般論はこのへんで止しておくが、当然、雑誌の企画の話としては今度は「じゃあ趣味とブログという切り口ではなんかないですか」と尋ねられることとなる。
もちろん鉱物趣味が話題の中心なわけで、ぱっと思いついて「砂金堀りのひと id:garimpo とか、すごく楽しそうでいいですよ」と答えたのだが、いずれにせよちっとも「人文系」じゃない。


ではもっと幅広く「趣味の人のブログ」について見ているわけでもなく(当たり前のことだけれど、自分が見ているブログもまた、ぼく自身の「趣味」の範囲内だから)、一般的なことはいえない。たとえ「人文系」の言説などを「趣味」の範疇でとらえても同じことだろう。


というわけで、すいませんが今回は辞退します、となったわけです。
さらに該当の号を見るのもずいぶん遅れてしまったわけで、いまさら何かいっても激しく「後だしジャンケンにしかならんので、どうしたものか、と思っています。あちこちの感想を見て、ようやく関心が出てきたりとか、いいたいことも若干あったりはするのですが。