同一化技法、『汽車旅行』など

仕事の進み具合でも書こうかな。
今度こそ本当に書き下ろし原稿の終結が見えてきた。
でもまだ気は抜けない。論理展開で無理をしてないかチェックをすると、思わぬところで無理を通そうとしている。そこを考え直して直してやってると、思いのほか時間がかかる。ここ半年ほどそれの繰り返しだっていう話もあるんだけど。


手塚治虫論先週はずっと竹内オサム手塚治虫論』と格闘。このひとの文章は同じ一連の文章のなかでいってることが変わったり、唐突に造語が出てきたりするので、ちゃんと読解しようとするとたいへん難渋する。
竹内が批判する対象の文章にもあたり、周辺の状況を固めていかないといけない。
読解に苦労するのは何も竹内一人の責任ばかりではなくて(文章のわかりにくさは竹内さんの責任だけど)、マンガについて分析的に思考する言葉が、どうしても過去に向かって遡行的に作られてきたことに起因する部分は大きいと思う。つまり、70年代に書かれた分析は、70年代のマンガ状況への視線に規定され、そこからなかなか逃れられない。そしておそらく、その制約条件は、マンガへの近代的なリアリズムの導入過程が完了する80年代後半までは、より強く働いたと推測される。


さらに、戦争による切断が大きく横たわり、手塚治虫の『新宝島』を決定的に革新的なものだとする「心的現実」を事後的に認証するロジックがさまざまに動員されるという事態が重なっている。
手塚が圧倒的な才能であって、戦後マンガの風景を一変させたことは事実だし、そこに異論はない。しかし、手塚の特権化が「手塚以前」への視線を遮ってきたのもまた事実だ。さらに、それを「起源」として見出す視線のありよう、いいかえれば欲望が、同時にマンガを自律した表現制度とみて分析する思考の発展も妨げてきたのではないか? というのが私の作業仮説だ。
だから、『新宝島』を「起源」として特権化する視線のありようについて検証しないといけない。




……とまあ、そんなパートを書いています。さきごろ大城のぼる『汽車旅行』(1941)が復刻されましたが、それをみると竹内さんが「マンガにおいてはまったく戦後的な技法」といっている「同一化技法」が、ちゃんと使われている。
これは宮本大人くんが『マンガと乗り物』(霜月たかなか編『誕生! 手塚治虫』(ISBN:4257035404)所収)で指摘していることなんですが、この間自分で見てみて「これそのまんま『同一化技法』じゃん!」と思いました。


汽車旅行―復刻版

汽車旅行―復刻版



さて、もうあと最低でもニ、三回は国会図書館に行かないとなんないですね。資料的な欠けを埋めるためなので、何を探せばいいか分ってる分、気は楽ですが。