本日のマンガ

働きマン』 安野モヨコ
地底国の怪人・魔法屋敷』 手塚治虫


前者は新刊、後者は1948年2月刊行。書き下ろしのなかで『地底国の怪人』の詳細な分析を書いているところなので、こうやって並べるのはちょっと変なのだが、マーイーダロ。
読めば読むほど、この140ページほどの作品に「マンガ」という表現自体の転換点がはっきり組み込まれているのが分かる。まさしくマンガにとっての「時代」の切れ目が刻印されている作品だと思う。
地底国の怪人』が、よくいわれる『新宝島』よりも大きな意味を持ち、こちらを「ストーリーマンガ」の始点とする見方は多くのひとが採用しているが(e.g. 米沢嘉博中野晴行大塚英志夏目房之介藤子・F・不二雄……)、それは主要なキャラクターの悲劇的な「死」を描いたことによるとされる。大塚英志の表現を借りれば、「死にゆく身体」と「傷つく心」が描かれた最初の作品ということになる。
ぼくは、そうした解釈をアウトラインでは認めつつ、しかし、この作品が同時に隠蔽したものがあるという見方をしている。そして、その隠蔽されたものとは、たとえば「萌え」の原初的な形態でもあるということを言わんとしている。つまりは、「キャラの持つ擬似的な生命感・存在感」の強度ということだ。「リアリティ」と言い換えてもいいのだが、それが隠蔽されることで、なかば代償的に「近代的な」リアリズムが欲望されたのではないか? という見方である。ゆえに、この後「戦後マンガ」は「近代化」していったのではないか? というモデルだ。



手塚の死後に刊行された角川文庫版で、ほぼオリジナルに近い形で読むことができる。

地底国の怪人 (角川文庫)

地底国の怪人 (角川文庫)



講談社の全集版は後の加筆・修正が多いのであまりお薦めしない。



明日は東京ミネラルショーの搬入日。
頼りのid:kocteau も大風邪のようで、少々心配なのだがどうにかなるでしょう。