対話も想像力もない「団塊の世代」のむなしさ
何にも分かっていない、分かろうともしない、分かる気もない者を相手にするのは、とても虚しいものだ。
このひとがそうでないことを切に望む。
対話の可能性を閉ざしてはいけない。
だが、果たしてこのひとは、他者の声に耳を傾けるだけの理性を持ち合わせてくれているだろうか。
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相手の言っていることをもじり、オウム返しにすることの嫌らしさは、本当にきらいだし卑しいと分かっているが、まあ、たまにはしたっていいだろう。そのくらい、このひとの言葉は、自分自身にこそ返るものだ。
「対話も想像力もない『団塊の世代』のむなしさ」
たとえば、もし私にこう言われたら、大谷昭宏氏はどう答えるのだろうか。
ぼくはこの年齢としては、かなりキャラに萌えている方だと思う。フィギュアはUFOキャッチャーの綾波とシンジ君程度しか持っていないけれど、仕事では「萌え」に関連するマンガの編集もやってきた。さらに、マンガ評論をするにあたっても「萌え」という現象を繰り込まない限り、たとえばマンガ表現史は記述できないと考えている。
大谷さん、ぼくは「対話も感情もない」人物の範疇に入りますか?
ぼくは犯罪者予備軍ですか。
どうなんですか。