せめて画像はさわやかに・2

goito-mineral2004-08-09

朝方、なんというか、すごく怖い夢をみる。

怖いというより嫌な夢というほうがぴったりくる。糞便をまき散らし、鮮やかな橙色の吐瀉物を吐き続ける老人の死を見続けなければならなかったり、甲状腺の手術を執刀せよ(当然、夢のなかの自分にもそのスキルがあるわけではない)と強要されたり。いつのまにか 重婚することになっていたり。何だ?

昨日、妙にテンションが高かった反動だろうか。


昨晩は少女マンガ研究家・ヤマダトモコさんご一家、マンガ研究者・宮本大人さんと食事。
そのまま解散……となるところだったが、宮本さんに資料をお借りするのでずうずうしくもお宅までお邪魔。主に70〜80年代のマンガ評論資料で欠けていたものをお借りする。ウチの「はてな」を読んでくれてるひとには、大学生くらいの若いひとも多いと推測するけれど、70年代〜80年代初頭に、マンガ評論同人誌で「漫画新批評大系」というのがあったことはあまり知られてないと思う。これの発行主体が「迷宮」という同人で、じつはここがコミケ準備会の母体となっている。
「漫画新批評大系」は、何冊か持っているが、未見の号をお借りしたというわけだ。

当時の「マンガ評論」をみると、総体としてやはり「運動」の色が強い。スローガンやアジテーション、喧嘩の類がどうしても目立ち、きちんとした内容のある「評論」はなかなか読むことができない。また、「マンガ評論はこうあるべきだ。こうでなければ」という提言で終わっているものが多い。「マンガ」という対象を遠巻きにぐるぐる回っていて、そこで終始しているような感がある。
もっとも、亜庭じゅんという書き手は内容のあることを書いているが、その亜庭にしてもやはりベースには「運動」がある。しかし、このへんの資料を繰っていくと、マンガ評論ってのは、まともな人がどんどん退潮していった世界なのだな、と痛感する。亜庭じゅんとか、いま読むとかなりいいことをいってるんですよ。でも、もうまったく名前をきかないでしょ? 

参考:google検索:亜庭じゅん



以下、自分のメモもかねて「亜庭じゅん」プロフィールを「まんが専門誌 ふゅーじょんぷろだくと」1982年3月号「対談 亜庭じゅんvs高取英」より抜粋。


亜庭じゅんプロフィール■
195▲年(しょーわ20年代)COMのぐらこんを起縁に同人誌活動に関わり、自分たちのまんがにおける批評の確立をめざして'75年創立された、噦迷宮 新漫画批評大系器の創立メンバー。
さらに新しい展開を企って、噦コミック・マーケット器を提唱、開催(75年)、肥大化しすぎた噦コミケット器から離れ、まんが創作同人誌だけの原画展示即売会噦MGM器(マンガ・ギャラリー・マーケット)を開設(80年)。高取英氏と同じく、いしいひさいちにおけるキャラクター化で一躍全国まんがファンにその顔がしられる。約一年ぶりで刊行された噦新漫画批評大系器(Vol15)で、「まんがをめぐる言葉をめぐって(1)」という題で長編論文を発表している。まんが創作同人誌も遊びとして発行。