M.B.届く

goito-mineral2004-06-10


M.B.ことマウリッツィオ・ビアンキのCD、"DAS TESTAMENT" が届く。82年リリースの再発CDだ。かつては入手困難だったこれがネットで手軽に注文できるようになったことについては、この日記でも触れている。

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http://www.forcedexposure.com/artists/bianchi.maurizio.html

昨日、ネームの指定作業をしながらCDウォークマンで聴いてたのだが、これがヤバイ。予想以上の衝撃だった。ぼくはこれまで、M.B.には縁がなく、ドイツのレーベルから出たコンピレーション・カセット(念の為註:カセットテープによるリリース。しかも自主盤なのでソニーのCHFという、とても安いテープにコピーでレーベルが貼られているようなもの)で一曲しか聴いていなかった。だから、きちんと通して聴くのはこれが最初なのだ。


M.B.とは、イタリア・ミラノの孤高のノイズ・アーティスト。
主にシンセサイザーとテープ操作を用い、アブストラクトな音塊をぶつけるスタイルのノイズ作品を制作していた。作品はすべて個人作業で作られていたらしく、後にエホバの証人への入信を契機に音楽活動を停止したという、まさに「伝説のノイズ・ミュージシャン」だったわけだ。ぼくがノイズだの何だのを積極的に聴くようになった80年代後半には、すでに音盤の入手は絶望的に難しく、たとえ店頭に出ても法外なプレミアがつくという状況が続いていた。88年に一度、アナログでの限定再発があったが、それにしても一枚8000円という高値がついていたのだ。となると、なかなか手が出せるものではない。ノイズの場合、前評判ばかりが高いわりに、実際に聴いてみて気に入るかどうかのリスクがひどく大きいことが多い(なんつっても「ピーとかガーとか変な悲鳴」(石野卓球)である)。当時、ホワイトハウスを何万円もかけて購入していたりしていたので、M.B.までは手が出なかったのだ。そもそも、件の再発盤は名古屋のレコ屋では売っていなかったし。

それから16年。ようやくM.B.を耳にするのに、それなりに構えたのは自然ななりゆきだろう。『マンガゾンビ』の宇田川岳夫さんとか、クイック・ジャパン編集の望月くんとか、ノイズ・マニアで高校教員の某さんとか、身近にやたらとM.B.を高く評価するひとがいたというのもその要因だ。しかもその評が「夏聴くと涼しくなる」だの、「自分が死んで出棺されるときにかけてほしい」だの、「核戦争後、人類が滅亡したあとに降る雪のような音楽」とかいった言葉でされていたのだから、なおさらだろう。
これは前評判に騙されず、できるだけ虚心に聴かなければ、と意識していたわけだ。はじめて聴くのに、あえて「作業をしながら」というシチュエーションを選んだのもそういう理由による。


だけど、いや……すげえわ、これ。

「ノイズ」というカテゴリなど必要ない感じだ。思ったより耳ざわりではなく、むしろ心地よく聴ける。音素材となっているシンセなどの音は楽音よりは雑音に属するだろう。また緊迫した強迫感も常に持続している。しかし、それ以上に、なにか言い表しにくい心地よさがあるのだ。メロディなどなく、リズムもはっきりしていないにも関わらず、なにか美しい旋律を聴いていたかのような不思議な感慨を憶える。そして、これも不思議なことなのだが、曲が終わった後(これがまた、不自然なくらい唐突に、ブチっと終わる)、耳に入る環境音、パソコンが発するノイズだとかが、一瞬、なにか美しい音楽のように聴こえるのだ。あれ? 何か遠くでラジオかなにかかかってるのか? と思ったほどだ。この錯覚、大袈裟にいえば感覚の変容は一体なんだろう?


これは人々が絶賛するのも分かる。
いままで縁がなく来てしまったのは幸運だったかもしれない。

20歳ごろにこれを聴いていたら、オレはその後、ずぅーーーーーーーっと「M.B.、M.B.」と事あるごとに言い続けるヤツに成り果てていただろうから。間違いなく人生を曲げられていたと思う。