広江礼威ブラック・ラグーン』既刊3巻を読む。
面白い、力のある作品だ。架空の東南アジアの都市を舞台に、国際社会から掃き寄せられたかのような連中が繰り広げる殺戮とガンアクションを描く。主題のレヴェルでは「ほとんど全てを絶望で塗り固め、わずかな余白を残すことで逆説的に希望を指し示す」系の物語だ。
的確な絵と極端にスピード感のあるコマ割りで読ませる手腕は相当のものだ。また演出も上手い。気が利いている。これらの点だけでも十分に評価されていい。またファンタジックな「萌え要素」―たとえば無闇に強いメイドさんとか、ゴスロリで双子の美少年/少女とか―と、一般に「現実的」とされる、国際的な裏社会の諸要素―チャイニーズ・マフィアであり、元軍人のロシアン・マフィアであり、チャウシェスク政権下ルーマニアの政変以降の世界で虐待された子どもであり、元左翼過激派でいまはイスラムゲリラに加わっている日本人などの設定―とが、なかば強引に重ね合わされている。むろん、キャラの外見をとってみれば、チャイニーズ・マフィアのボスの出で立ちや、主人公のチームリーダーのそれが明白に示すように、各々が広義の「萌え要素」をまとったものともいえる。
これらの重ね合わせは、いってみれば力業だ。プロット上の整合を取る工夫は実に丁寧になされている。そしてなにより、端正な描画/描線がこれらの諸要素を危うく支えている。
つまり、キャラクターのレヴェルで駆動される快楽と、コマ演出のレヴェルの快楽、そして、プロットや諸設定のもたらすそれが、分離してしまわないよう、入念な配慮によって一致させられている。言葉を変えれば、この作品において、リアリティの層は一層しかない<かのように>認識される。その意味で、本作は際どいところでモダンの側に踏みとどまっているように見える。そこが、たとえば『Gunslinger Girl』と本作を分かつ一線ではないだろうか。

あと蛇足ながら。主人公の名は「緑郎」―ロクロウ―で”ロック”という。手塚治虫の引用だろうか。