本日の石田理論

「日本は、プレートテクトニクスに対する反対運動が、世界で最も激しく長く組織的に続いた国である。」というのは、それが本当ならばプレート論の危うさを見抜いていたからこそ、アメリカのようにプレート説一色になるのに抵抗があったということで、立派なことではないのでしょうか。
しかし話は逆で、ヨーロッパの学者からは「日本はどうしてプレート論者ばかりなのか」と言う質問があったと聞いたことがあります。すぐに一色に切り替わったのはアメリカの話で、それが立派なことだとは思えません。

だそうです。
プレートテクトニクスに対する抵抗により、地域地質のレヴェルでも、野外で実際に観察されているものでも、都合の悪いものは無視したような解釈がずっと後まで続いたということは、地質系の人間ならばよく知っていると思います。というよりも、フィールドを歩いた実感してよく分かっていると思います。
たとえば多摩川の河原でも岐阜の根尾谷でもいいのですが、砂岩のなかに石灰岩のブロックを見たとしましょう。これは、いまの付加体モデル―プレートテクトニクスに基づくそれ―からは、ごく普通に見えるものですが、以前の地向斜モデルでの解釈では、どうにもできず、アド・ホックな説明しか与えられないものでした。ひどい場合には、ある地域での解釈や地質図と、隣のエリアのそれが整合性を持たず、地質図がつながらないなんてことまであったと聞いています。我々はそういう過去を持っているのです。それが立派なことだとは思えません。
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