地団研の話題ちょっと続き・牛来正夫日記のこと

まだちょっとだけですが、ウェブで地団研について言及したページを見ています。戦後において、科学の啓蒙に大きく関わったことは確かで、そこには、青雲の志と挫折とが感じられます。やはり、教育というファクターは見逃せない。理想があり、よりよい世界を志向した営みが、結果として慢性的に病んでいるような世界を現出してしまった、というパラドックスを感じてしまいます。これはまだ感触であって、はっきりといえることではないのですが、まあ、およそそんな感じです。
地団研の主要メンバーであった故・牛来正夫氏は、東京教育大が筑波大に変わるとき、最後まで抵抗し「東京教育大十傑」と呼ばれたのだそうです。最後の最後まで東京教育大学に残り、事務のひとが来なくなり、校舎のガスが止まり、水道や電気が止まっていられなくなるまで、自分の研究室に通ったことが、日記には書かれています。そして、その前にはロックアウトされた校地に、柵をよじのぼって入るというくだりがあります。
牛来氏が、ひとからとても慕われた、たいへん真面目な学者であったことは、追悼文や当の日記からも伺えます。だから、彼の日記『一地質学者の半世紀』(築地書館は、ぼくの好きな本の一冊となっています。戦中、満州の資源調査で過ごし、新京に遊んだ牛来氏は、戦後、左翼化します。羽仁五郎主催のヘーゲル読書会に参加し、結婚式ではほろ酔いでロシア民謡を歌う牛来氏の日記からは、戦中戦後の日本の知識人の暮らしの様子をかいま見ることができます。そして、プレートテクトニクスに反対し、最後まで地球膨張説を提唱し続けた姿には、どうしても「ああ、"敗北"ってこういうことなのだな」という感想を持ってしまうのです。いささか感傷的な気持ちになるところも含めて、ぼくはこの本が好きなのです。
ホントに、個人の日記をただテキスト化して綴じただけ、という、レイアウトもへったくれもない本なのですが。よく出版されたなあって感じのものではあります。

■あっ! 「牛来」って読めないひとも多いんじゃないか? 「ゴライ」と読みます。知らないとちょっときついよね。