理科教育MLから反応をいただきました。

この日記の11月9日の記述に対し、理科教育MLで反応がありました(リファでみつけました)。嬉しいです。
http://rika.org/archive/rika/200312/msg00037.html
なぜなら「地学教科書の記述で、地向斜からプレートテクトニクスへの移行は、どのように推移してきたか?」(大意)という問いに答えるスレだったからです。これは、ぼくも知りたい。「地向斜」というのは、かつて山脈や島弧の形成を説明するのに使われたモデルで、地殻の垂直方向での変動のみを想定し、水平移動は考えないというものでした。60〜70年代、プレートテクトニクス地向斜とは逆に、地殻の水平方向の移動を根本とする)の急速な進展とともに、破棄されていったものです*1
70年代後半には破棄され、すでに、80年代なかばの大学では、こういう考え方が過去にあったという以上の意味では扱われていなかった「地向斜」が、ひょっとしたら、90年代になってまで、高校の教科書には残留していたのかもしれない、という話題です。「もうひとつの教科書問題」といってもいいかもしれません。89年、教育実習で高校に行った際、教科書に地向斜とプレートが並記されていて、しかもプレートが「新しい考え方」として後のほうに掲載されているのに驚いた記憶があります。教科書がどこの会社のものだったかは憶えていません。ただ、ひょっとすると、自分が高校のころの教科書と記憶が混ざっている可能性もあります。そうだとすると、83年当時の教科書はそうなっていた、ということになります。

> 実際の扱い方は、1970年代〜80年代(初め?)のころは教科書会社によってかなり
>センスが異なっていた印象があります。実教(某団体のリーダー達が執筆者→「地学
>教育講座」と「新版・地学教育講座」(東海大学出版会)の違いもおもしろい)が一
>番「地向斜」にこだわっていたと思います。

そう、ぼかさなくても・・・
林さんの質問とはずれますが、こういうページがあります。
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20031109

ここで「某団体」となっているのが、地学団体研究会、通称・地団研です。
地向斜については、id:hesoも書いていましたが(http://d.hatena.ne.jp/heso/20031108)、いまでも亡霊のごとくそのモデルに基づく記述がそこここに現れます。役所関係で、昔に作った資料から引き写している場合は、まだまあ仕方がないか、と思いますが、県立レヴェルの博物館で、一方で付加体モデルに基づく説明展示をしながら、他方で地向斜の展示も置いている、というものを見ると「こっちの地向斜の展示は、誰か偉い先生が関わっているから撤去できないのかな……?」などと勘繰ってしまいます。
あと「地学ガイド」「○○県の自然をたずねて」などの本。いま逐一、例を挙げることはしませんが、これらの本にも「ちょっと待て」といいたくなるような記述がみられることがあります。さすがにこっちはいまだに「秩父古生層」などと書いている本はないようですが(あったりして……)。

地団研に関しては、大学のころ、構造地質の集中講義の際、4日間の日程のうちの1日を使い、実証的に「黒を白と言いくるめる地団研という批判をした授業を思い出します。もう10数年以上前のことなので、詳細は憶えていませんが「ここに向斜軸がないといけない、というので、それに合う観察結果を出したりした。しかし、その根拠となった地層の走向傾斜は、露頭の地滑りによるものだった」などの内容だったと思います*2。ともあれ、「黒を白と」というフレーズと、60年代70年代、いかに地団研が権勢をふるい、プレートテクトニクスの導入に反対したか、そのさなかに様々な軋轢があったか、という印象はよく記憶に残っています。この先生は、よっぽどイヤな思いをしたのかなあ、とも思いました。講師は、東大助教授(当時)・吉田鎮男氏でした。

鉱物の同好会でも、何人かのひとから、当時の話をちらちらと耳にしました。残念ながら具体的なエピソードはきいてませんでしたが、やはり、地団研については、守旧派的なイメージを補強するものになっています。

とはいっても、80年代後半を大学で過ごしたぼくは、地団研の実際や歴史などについて、あまりよく知りません*3。知らない以上、批判的な言辞を取るのは慎重にしなければならないのですが、見知っている乏しい材料からも、やはり、批判的にならざるを得ない局面は存在します。少なくとも、プレートテクトニクスの受容に対し、強く抵抗した「組織」が、地団研であるのは、前提としていいと思います。その理由には、プレートテクトニクスが、地質学ではなく地球物理学の側から、よりマクロな視点での考察をもとに展開されたこと、そして、イギリス・アメリカを中心に発展してきたことがあります。後者の理由については、説明が必要でしょう。

当時のソビエト連邦の科学者たちが、プレートテクトニクスを認めず、独自のモデルによる論を展開していたのです。堆積物の荷重によって抑え込まれた堆積盆の地殻が、マグマを発生し、隆起して山となるという地向斜造山運動のモデルが、革命理論と合致したため歓迎された、といわれています。一方、日本の地団研は、戦後、民主的な地学研究者・教育者の団体として発足しています。そして、左翼団体でもあったのです。つまり、プレートテクトニクスの受容の遅れには、イデオロギー的な影がうかがえるのです*4
ここでふたたび、都城秋穂著『科学革命とは何か』(岩波書店を引用します。

日本は、その地質学界が世界から孤立する傾向がある点でも、制度上あるいは社会組織上の地位の高い人が学説に対して統率力をもつ点でも、ソ連邦に似ている。そして日本は、プレートテクトニクスに対する反対運動が、世界で最も激しく長く組織的に続いた国である。日本の地質学者の反対運動は、ほとんどすべて地向斜造山説の立場に立っていたが、ベロウソフ(ソ連科学アカデミーの地質学者。生涯、プレートテクトニクスへの全面否定を貫いた:引用者註)のように地球全体のテクトニクな過程についての自分の学説をはっきりと組み立てた人はいない。反対者が反対を続けた主な理由は、自分は昔から地向斜造山説の立場に立って論文を書いているから、いまさら説を変えるのは体面にかかわるとか、自分の大学や関係ある組織上の権力者がプレートテクトニクスに反感をもっているから、自分がプレートテクトニクス側に立つとひどいめに合わされるだろうとか、反対側に立つ人のほうが多くて強そうだとか、何によらず新しい説には反対だとか、いうようなさまざまなことであった。

このあたりの具体的な事情について、はっきり記した本や論文には、まだ出会っていません。都城氏の記述にしても、具体性をいまひとつ欠いています。また本書では、プレートテクトニクスに抵抗し続けた例として、牛来正夫氏、藤田至則氏、木村敏雄氏といった個人の名前はあげられていますが、「地団研」の名前は登場しません。
戦後思想史の一断面としても、地団研の来歴や、プレートテクトニクスの受容史については、大変な関心を持っています。だから、理科教育MLでのやりとりも、とても興味深く拝見しています。

以上が、現在のぼくの認識と見解です。『科学革命とは何か』のほか、牛来正夫氏の日記『一地質学者の半世紀』(築地書館)、『地球の科学史―地質学と地球科学の戦い』(ロバート・ミュアウッド 朝倉書店)といった本を参考にしていますが、事実関係の誤りや、思いこみがあるかもしれません。そのような点にお気づきの方は、どうか、ご教示いただければと思います。ぼくにしても、過去になにがあったのか、とても知りたいのです*5
あ、そういえば。在京の鉱物同好会に入ってすぐ「黒を白と……」の話をある人にしたら、「伊藤くん。ウチの会には地団研のひとが多いから、気をつけないといけないよ」と忠告されたのでした。

*1:地向斜プレートテクトニクスへのシフトを中心にした、おおまかな地球科学史については、ここがよくまとまっています。

*2:記憶なので文責は伊藤にあります。

*3:ウチの大学でも活動してた筈だし、指導教官は地団研のえらい人だったような気が。でも何の接点もなかった。ぼくが学部しか行っていないボンクラ学生だったからだろうか。

*4:地向斜運動」を、「日本のルイセンコ学説」としているウェブ日記もあった。

*5:それも、具体的なエピソードが知りたいです。

追記

高校地学教科書での記述について、詳しく触れているページを見つけました。
http://georoom.hp.infoseek.co.jp/3litho/24platehistorical.htm
の、地向斜造山論についての記述以降です(ページを下にずっとスクロールすると出てきます)。

1980年代の高校教科書には、プレートテクトニクス地向斜造山論が両方とも記述されています。例えば、1984〜86年度教科書では、島弧の地震や造山運動、大陸移動、海洋底拡大などについて約10頁分の詳しい記述がある一方、地向斜造山論に基づく日本列島の生い立ちや造山運動(図6)についても約10頁分の記述があります。出版社にもよりますが、両者の関係は不明瞭で、地球全体を地球物理学的に見るときはプレートテクトニクス、地史を地質学的に見るときは地向斜造山論といった棲み分けがなされています。その後、地向斜造山論は1987〜89年度教科書では大分後退し、1990〜94年度教科書ではコラムなどで過去の説として軽く紹介され、1995年度以後の教科書で消失しました。
 理科教員が自身の専門外の科目を担当するとき、一番困惑するのが地学です。特に地質岩石の分野がやりづらいと言います。その一つの原因として、このプレートテクトニクス地向斜造山論の並列があったに違いありません。19世紀以前に確立された内容を教えるのに慣れている教員にとって、学界の論争がわずか(!)数年遅れで教科書を大きく変えてしまうような科目は、何とも困るでしょう(そこが他科目にない魅力なのですが)。教科書執筆陣にもプレートテクトニクス地向斜造山論に対し、それぞれ立場や思いもあったでしょうから、学習指導要領のしばりや出版社の意向との葛藤も強かったに違いありません。当時の教科書を読むと、そんな葛藤がそれぞれ文面ににじみ出ていて興味深いです。

このページの記述は、たいへんに示唆に富んでいます。いま40代半ばから50代前半くらいの年齢で、地質系学部で学んでいたひとは、急速な枠組みの転換と、それに対する抵抗を目の当たりにしたことでしょう。なお、このサイトの書き手は、地質系学部を卒業した、高校理科教員の方です。


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